[bike]台湾ツーリング2013 臺灣機車旅遊 – part5 墾丁→車城→東港→高雄

台湾ツーリング2013
この記事(part5)の旅程
  • 5月1日
    墾丁

    豪雨でビーチ遊びをあきらめる
    ホテルをチェックアウト

  • 12:00頃
    車城

    車城福安宮で卵料理とマンゴーかき氷

  • 14:00頃
    東港

    東港漁港(華僑市場)でマグロ刺身

  • 15:30頃
    高雄

    ゲストハウスにチェックイン
    紅毛港保安堂を参詣
    高雄空港を一望出来るカフェで食事
    日本統治時代の骨董品が並ぶレストランで食事

墾丁

5月1日 – 台湾ツーリング4日目

朝から豪雨

今日こそ青い海で泳ぐぞ!白い砂浜で走るぞ!と7:00前に早起きするも、バルコニーに出てみると雷の爆音が響くほどの豪雨で大荒れです。海水浴どころではありません。

がっかりしつつ、とりあえず昨夜のディナーと同じレストランでゆっくり朝食です。

部屋に戻って出発の準備をしながら天気予報をチェック。
ニュース番組の天気情報では「大雨特報」とか不愉快な文字が表示されています。

準備を終えた頃には雨はやや小降りになり、ホテルから一番近いビーチまで歩いて行ってみることにします。

ホテル専用歩道でビーチへ

ホテルから小灣ビーチに直接行ける通路の海濱步道を歩く様子を動画で。

動画の途中で左に見える扉は池畔花園客房の出入り口で、海濱步道へ直接出入り出来る専用ドアがありプールとビーチにアクセスしやすくなっています。途中に見える「爬虫類出没注意」の看板がある扉がホテル敷地と墾丁國家公園の境界です。

ホテルから徒歩5分ほどで小灣に到着。
このビーチは墾丁凱撒大飯店が管理運営権を持っていて、ホテル宿泊客の利用が多くホテル直営のバーもあります。

今朝は散歩してる観光客が数人いるだけです。
これ以上待っていても雨は止みそうにありません。

ホテルをチェックアウト

部屋に戻りチェックアウトして墾丁を出発します。
ロビーでは宿泊客がガラスの向こうの雨の様子をずっと伺っています。

気付かないうちに楊さんからメールがあり、「エンジンが冷えているとエンストすることがある。そんなときはアクセル多めに開けてみてね。」とアドバイスがありました。ホテルを出発するときにはまさにそのエンストがあり、一旦停車して暖機してから道路に出ます。

ホテルから15分ほど北へ走ったところにある南灣の様子。

水上スキーやバナナボートで遊べていつも賑わっているビーチのはずでしたが、この天気ではお客さんが全然いません。

海岸沿いの道路を走りつつ北上、途中で白砂灣に寄ってみてもやはり散歩してる人しかません。
雨も再び強くなり運転に集中しないと危険なレベルとなり、周囲の景色をほとんど眺めずに進みます。

車城

1時間弱で車城に到着。

車城といえば牡丹社事件で日本軍がこの近くから上陸したんだよなあ、と思い出しつつ海岸方面へ寄り道してみます。

車城福安宮

そこで巨大な廟の車城福安宮を発見。

この廟の裏にある食堂らしき建物には煮卵・ゆで卵・皮蛋とタマゴ屋台ばかりがが並んでいます。
なぜ卵料理だけこんなに多いのか理由は知りませんが、皆が食べてるしとりあえず真似して卵を買って食べてみます。独特な味付けがされていて美味しく頂きました。

卵料理以外にも、建物内でマンゴーカキ氷を売ってる食堂を見つけて注文。
これで70元。

早くもお腹いっぱいになってしまいましたが、これから昼食目当てに高雄近くの漁港へ向かいます。

北上する途中で南廻公路の高架橋の下を通過します。

4年前と2年前は高雄方面からこの高架橋を通過して南廻公路で東海岸へ向かいました。あのときは「このまま直進して墾丁に行きたい」と考えていました。今回はその逆で墾丁から高雄方面へ向かって北上します。

東港

高雄に入る前に東港に立ち寄り、この周辺では規模の大きい海鮮市場である東港漁港(華僑市場)に入ります。

南台湾最大級の漁港と魚市場

東港は南台湾最大の漁港があり、特にマグロの漁獲量が多く水揚げされたマグロの多くは日本にも輸出されています。「市場にはマグロが並び周辺にはマグロ料理を出す店が多い」観光案内に書かれていますが、、市場にはマグロ以外の海産物のみならずお菓子やフルーツジュースも売っていて食堂で食事も出来ます。

東港漁港の建物内の様子を動画で。

お約束でマグロの刺身を注文。

市場を出てから今夜泊まる宿に電話して「一時間後くらいに到着します」と伝える。

高雄

雙園大橋を渡って高雄市へ入ります。
雙園大橋といえば4年前のツーリングで通過しようとしたら八八水災で流された直後で通行止でした。その後は完全に復旧し今日はスクーターで走行出来ています。

橋の向こうに乱立する工業団地の煙突群に向かって直進します。

高雄市内の様子。
台湾有数の大都市とあって人とスクーターの数がかなり多くて混沌としています。

ゲストハウスにチェックイン

高雄空港近くの住宅街の狭い路地をナビに従って行き止まりまで進んでいきます。

本当にここに今夜の宿があるのか不安になりつつ電話をかけると、バイクの真横にある真っ赤な扉が開き宿のオーナーの仁さんが出てきました。

ゲストハウス・高雄仁的家に到着。
今夜はここに泊まります。

高雄の宿泊施設を探していたときに日本人旅行者のブログでこの宿を知って事前に予約しました。ゲストハウスといえば同室で寝泊りする他の宿泊客と交流を楽しむものですが、今日の宿泊客は私一人だけでちょっと微妙な気分です。

このゲストハウスには仁さん直筆のイラストが所々に描かれています。

今夜の寝床。

仁さんから宿の説明を分かりやすい英語で受け、ついでにこの周辺の観光地のことも聞いておきます。
このゲストハウスは高雄市街から離れた場所にあり有名な観光地からは遠めです。しかし今回はこのゲストハウスの近くに行きたい場所があります。荷物を運び込んだらすぐに出発の準備です。

出発前に荷箱とキャリアは外しておきます。

荷箱を外して宿に保管してから外出すれば、ガソリンスタンドで給油の際に面倒な荷箱の取り外しと再装着の作業をしなくていい、という事実を今日になってようやく気付きました。

最低限の撮影機材をバックパックに入れて今日の目的地へ向かいます。

紅毛港保安堂

ゲストハウスから真っ先に向かったのは紅毛港保安堂。単に保安堂と呼ばれることのほうが多いそうです。所在地が移転していて古い案内図が頼りになりません。今は高雄空港付近の区画整理された地区に新たに建設中だそうです。

最新地図が表示されるタブレットと4年前に買ったナビで場所を確認。
2009年の地図データのナビでは道路さえ表示されません。

新しいほうの地図を頼りに30分かけて保安堂に到着。

保安堂の成り立ちについては以下の引用を参照ください。

第二次世界大戦が終結した翌年の1946年、出漁していた紅毛港の漁民の漁網に、一体の頭蓋骨が掛かった。漁民は頭蓋骨を草葺の小屋だった祠の神棚に安置して「海府尊神」として祀った。以降大漁が続いたため、霊験あらたかな神であるとして信仰されるようになり、1953年に保安堂を建立した。

1968年、蘇某という老人が漁に出た船上で休憩していると海府尊神が現れて祠を建て替えて欲しいと語り、砂浜の「亀の穴なる場所」を指定した。老人が実際にその場所に行くと果たして亀の卵が出てきたため、御神託であるとして拡張工事が始まった。

1990年、タンキーが「私は日本第三十八号軍艦の艦長であり、太平洋戦争中に死亡した。日本の護国神社に帰りたい」「部下を郷里に帰すことができず悔やんでいる」と話せないはずの日本語で流暢に語った。そこで信者たちが半信半疑ながらも指示に従って沖縄県護国神社を訪ねたところ、「日本海軍記念碑」に”日本第三十八号軍艦撃沈”の碑文を見出した。旧日本海軍の軍人であったことを確信した信者らは鎮守を「海府大元帥」と呼ぶようになり、”日本第三十八号軍艦”とは1945年に米潜水艦アトゥルの雷撃によりバシー海峡に沈んだ第三十八号哨戒艇のことであり、海府大元帥は艇長であった高田又男大尉(熊本県出身)であると解釈された。

信者らは、海府大元帥とその部下たちが魂だけでも日本へ帰れるようにと、翌1991年に造船職人の黃世秀に依頼して「日本の軍艦」の模型を作り、海府大元帥の御座船「38にっぽんぐんかん」として奉納した。

引用元 : 鳳山紅毛港保安堂(Wikipedia)

ここには日本の軍艦が御神体として祀られ、漁師の安全と大漁に御利益があるとされています。

保安堂の内部。
本堂が建設中(2013年5月時点)のためこちらは小さな仮の堂。

御神体の軍艦。
第38号哨戒艇に因んで船体には『 38 にっぽんぐんカん 』と記されています。

漁民に引き上げられ供養された海府大元帥(かいふだいげんすい)の像。

民国92年(2003年)に靖国神社へ参拝したときの記念写真。
日本に戻りたいと願った軍人のために有志の皆様が靖国神社へ参拝されています。

仮の堂のすぐ横に建設中(2013年5月時点)の本堂があり、こちらは何倍も大きくて豪華です。

新しい本堂は2013~2014年頃に落成・公開予定でこの日はまだ一般公開されていないが、ボランティアの方に特別に内部を見学させてくれることになった。

建設中の本堂内部の貴重な映像を動画で。

旭日旗や靖国神社は近隣国絡みでいろいろと騒ぎになる場合がありますが、同じ近隣国のここ台湾では日章旗・旭日旗・菊花紋章が堂々と随所に採り入れられ、そこには日本の軍人と軍艦が祀られています。

ボランティアの皆さんはこんな服を着ています。
「38 にっぽんぐんかん」「紅毛港保安堂 かいふだいげんすい」

カバンには「パッケージのボランティア」。

ボランティアの方と一緒に写真を撮ってからお別れ。ありがとうございました。

高雄空港を一望出来るカフェ

腹は減ってないけど次の目的地へ向かいます。

保安堂から約1km南にある農地を突き抜け、案内標識の通りに進むと飛行機のイラストが描かれた建物が見えてきます。

老爸機場咖啡に到着。

高雄空港のすぐ北側に隣接するオープンカフェで、店に入るとすぐに店員さんがお出迎え。中に案内されてお一人様向けのカウンター席に座ります。

店内の様子。
客席のほとんどがオープン席です。

ここでフルーツワッフルとお茶を注文。
軽食で済ませるつもりが味も量も十分以上でした。

お茶を持ってきてくれた店員さんには「日本人ですか?」と聞かれました。
この店には日本人はほとんど来ないそうです。

高雄空港と壁を隔ててすぐ横にあるオープンカフェということで、店内で座ったまま高雄空港の滑走路やターミナルが見渡せるだけでなく、飛行機が滑走路を離着陸する様子を目の前で見ることが出来ます。

ちょっと分かりづらいけど飛行機が離陸するときの画像。

飛行機が離着陸するときの様子を分かりやすい動画で。

航空機が目の前を豪快な爆音を立てて滑走していく姿はかなりの迫力です。店内には高雄空港の時刻表が掲示されていてフライトが定刻通りであれば撮影チャンスを逃すこともありません。

この店のすぐ隣にも天空之城休閒農場と浄園機場咖啡休閒農場という”飛行機の離着陸が見えるカフェ”があり、交通の便があまり良くない場所にもかかわらず大勢のお客さんが席を埋めていました。

日本統治時代の骨董品が並ぶレストラン

予定外に食い過ぎてしまいましたが、それでも高雄市街へ2回目の夕食に向かいます。

30分くらいかかって新台灣原味餐廳に到着。
看板には「新台灣の原味」と表記されています。

高雄鳳山の2つの支店があり、こちらは高雄支店です。
古い台湾の町並を模した店内に日本統治時代~1950年代頃の骨董品を大量に展示しているレストランで、4年前のツーリングで入った台灣香蕉新樂園(台中市)にコンセプトが似ています。

店内の様子。

とりあえずお茶とスイーツ2品を注文。
ここでも軽食で済ませるつもりがまたもや味も量も十分以上でした。

席を立って店内を見て回ります。
相変わらず日本統治時代の骨董品は見ていて飽きません。

食べ過ぎて身体が動きづらくなりつつ店を出ます。

ガソリン給油してからゲストハウスに戻ります。

ゲストハウスに帰ると仁さん直筆のイラストと伝言が置いてありました。

仁さんはお得意の直筆イラストを宿泊者へサービスで描いているそうで、やはりこういうものを頂くと嬉しいものです。
明日は出発が早朝なので残念ながら仁さんには会えないかもしれません。

明日の準備をしてから一人ベッドで就寝。

今日は1日5食でした。明日からも反省せずいっぱい食べます。

明日は台風の被災地に寄ってから台南へ向かいます。

ツーリング動画

台湾ツーリング 2013 臺灣機車旅遊 – [part4] –

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