[bike]台湾ツーリング2013 臺灣機車旅遊 – part8 日月潭→魚池→大雪山

台湾ツーリング2013
この記事(part8)の旅程
  • 5月4日
    日月潭

    早起きして日月潭を撮影
    東方餐廰で朝食ビュッフェ
    ホテル内のプールで泳ぐ
    ホテルをチェックアウト

  • 9:00頃
    魚池

    台湾紅茶名産地の魚池
    紅茶栽培に尽力した日本人技師の記念碑を訪問
    紅茶専門店や工場を訪問

  • 12:00頃
    大雪山

    大雨に降られながら道を間違える
    山奥の民宿にチェックイン

日月潭

5月4日 – 台湾ツーリング7日目

早朝5:30頃に起床。
本当はもっと寝ていたいところを、日月潭の日の出を撮るために起きてバルコニーに三脚とカメラをセットし、自動シャッターで連続撮影させてそのまま二度寝します。

ホテルで朝食ビュッフェ

7:00に起きて昨夜のディナーと同じ東方餐廰で朝食ビュッフェです。

ディナーのときは暗闇だった窓からの景色も、今朝は朝日が眩しいくらいの絶景が見渡せます。

朝食後にホテル周辺を散歩。
ホテルのインテリアが日月潭の景色と調和していて本当に綺麗。

吹き抜けの下は鯉が泳ぐ池になっていて上階から見下ろすとちょっと怖いくらいです。

ホテルのプール

部屋に戻ってバルコニーから下を見るとプールの営業時間が始まったようです。

このプールを楽しみにしていたので水着に着替えてプールへ向かいます。

1階のエレベーターを降りると緩やかなスロープの先にプールの水面が見えます。
プールの枠が水面からほとんど見えないような設計になっていて、日月潭の湖面とプールの水面が繋がっているように演出されています。

デッキチェアに横たわりプール越しに眺める日月潭。
プールの水が湖の色に似せてあるそうです。

プールの枠を水中から見ると縁が斜めになっていて、その向こう側では常にプールの水が溢れ続けています。

プールで泳いでいると隣の池畔茶館からミネラルウォーターが届けていただき、湖畔の涼しい空気の中で少し寝てしまいます。

その後は存分に泳いでから部屋に戻ります。

ホテルをチェックアウト

部屋のバルコニーからは日月潭に浮かぶ拉魯島(英語名The Lalu Island)がよく見えます。
観光客を乗せた遊覧ボートが次々と島の周囲を回っていきます。

もっとゆっくりしたいところですが荷物を片付けて10:30過ぎにチェックアウト。

ベルボーイに駐車場まで荷物を運んでいただき一人で荷造りを始めます。

この周辺では最高級クラスのホテルでしたが適度に緩いスタッフの応対のおかげで居心地良く過ごせました。

魚池

日月潭周辺の有名観光スポットには全く寄らず北側の魚池を目指します。

魚池で歩道橋に掲げられる台灣紅茶的故郷の看板。

台湾産紅茶の名産地

魚池周辺は台湾産紅茶の名産地です。
1930年代に日本人が紅茶産業の基礎を築き、海外の品評会でも高評価され日本の皇室御用達の紅茶として献上されていました。台湾における紅茶産業の隆盛は1970年代まで続きましたが、その後は需要減と粗悪品の流通により壊滅寸前まで衰退しました。1999年の大地震で被災地となった魚池は復興事業として紅茶産業を復活させ、一時は激減した紅茶畑の拡大が続いています。

※厳密には日月潭も魚池の一部ですが、紅茶の産地としての魚池は日月潭の北部を中心とする一帯を指します。

日本統治時代から続く紅茶研究所

先ず最初に行政院農業委員會茶業改良場魚池分場へ向かいます。
(ここは一般道からの入口)

紅茶の研究を行っている公的機関で、日本統治時代に設立された魚池紅茶試験支所が前身となっています。

入口には中国語で『公用車以外の車両通行禁止』=一般人のクルマやスクーターの進入は禁止と表記されています。ただし、車両進入が禁止というだけで徒歩なら問題ありません。実際、この道は猫囒山歩道という散策路の一部になっていて台湾人観光客がここから歩いて歩道へ入っていきます。

入口付近にスクーターを停めて徒歩で猫囒山歩道の緩い坂道を登っていきます。

歩いて最初に見えてくるのが「日式宿舎」の案内板。
その先には日本国内でもあまり見なくなった日本式の木造住宅が並んでいます。

日本統治時代に職員宿舎として使われていた日本式住居をそのまま保存してあり明らかに保存状態が良好です。

紅茶畑がある細い路地をさらに奥へ進みます。

歩道の途中には展望台がありやや遠めに日月潭が広がっています。

紅茶栽培に尽力した新井耕吉郎

1km弱歩くと道端にこんな碑が建っています。
石碑の文字は「故技師新井耕吉郎紀念碑」。

新井耕吉郎(あらいこうきちろう)は魚池紅茶試験支所で日本人として最後の局長を務めた人物です。1926年に台湾に渡り技師として活躍、1936年には魚池紅茶試験支所が開設され、1941年には新井耕吉郎が支所長に就任しました。紅茶栽培の技師として成果を上げ、日本敗戦後の1945年に支所長職を辞任。その後も妻子だけを日本に帰し台湾に残って紅茶の研究を続けましたが、1947年にマラリアにより逝去しました。

新井耕吉郎を中国語・英語・日本語で紹介するパネル。

日本語解説にはこう書かれています。

「新井支所長は魚池紅茶試験支所の最後の日本人の支所長で、第二次世界大戦の間も職を勤める。彼は大きく台湾経済に影響を興えた。徴兵も頻繁で、試験費用と労働も欠乏する中で、紅茶の各種研究と普及業務に当り、積極的に業務を推進された事は、尊敬に耐えない次第である。
新井支所長は1947年に病死される。終戦後、首任となつた台湾茶業公司総経理陳為禎支所長は、1949年氏の功績を記念し、茶園に記念碑を建てる、これをもつて、故き新井耕吉郎支所長が、台湾紅茶産業に対して偉大な貢献をしたことを記念する。」(※原文ママ)

このパネルでは臺灣紅茶的守護者と紹介されています。
紅茶産業の功労者としてだけではなく、紅茶畑が広がる猫囒山の守護神としても祀られています。

記念碑のある場所からちょっとだけ見える日本統治時代に建てられた建物は茶業文化展示館です。

この建物は以前は製茶場として使われていて現在は台湾紅茶の歴史や技術を展示する場所となっています。茶業や観光の関係者または事前予約してある団体客のみ見学が可能になっていて、私のような観光客一人では中に入れません。

この建物内には新井耕吉郎の銅像があります。新井耕吉郎の功績を高く評価した台湾人実業家の許文龍氏が銅像4体を自費で製作し台湾と日本の関係各所に寄贈しました。出身地である群馬県沼田市のご遺族の墓地内にも同じ銅像が設置されています。

紅茶関連店舗が点在

スクーターを停めた場所まで戻り魚池の中心部まで移動します。

紅茶の名産地である魚池には当然のことながら紅茶を扱う店があちこちに点在しています。
以下、私が今回立ち寄った紅茶関連のお店です。

日月潭廖鄉長紅茶故事館

自社製紅茶を販売している紅茶店ですが、売り場よりも紅茶の歴史に関する展示スペースが広くその内容も充実していて、見学順路を進みながら貴重な展示物を見ることが出来ます。魚池に来たらここは必見です。

茶業文化展示館内にある新井耕吉郎の銅像のパネル写真。
実物は一般非公開になっていますのでパネルだけでも見られるのはありがたいです。

紅茶売り場では試飲だけでお腹いっぱいになるくらい飲んでしまい、しかも美味しいので何か買わなくてはという気分になります(実際にお土産を買いました)。

日月老茶廠

日本統治時代から続く紅茶工場。日東紅茶の発祥地です。
三井合名会社(現在の三井農林)が日本発の国産紅茶ブランドとして1927年に三井紅茶を発売→1930年代にブランド名を日東紅茶に変更→戦後は台湾農林公司魚池茶場として稼働され、その後に一時的な廃業状態を経て現在の日月老茶廠として復活しました。

工場の一部が見学コースや喫茶室になっていて貴重な資料も展示されています。

もちろん自社製紅茶も販売されています。

和菓森林

日本統治時代の茶業伝習所(製茶の学校)で日本人から製茶技術を学んだ台湾人が創業した紅茶店。
台湾語の「好菓」(良い結果)に似た発音で、魚池に最初に茶葉を植えた日本に敬意を表するため「和」という文字を加えて「和菓」というブランドを立ち上げたそうです。

ここでも目の前で紅茶を淹れて試飲させていただき、そのままお土産としてお買い上げしました。


昨日の古坑コーヒーも今日の魚池紅茶も、日本統治時代を期限とする農産業として当時の日本人が称えられていますが、その後も産業を絶やさず、たとえ衰退しても復活させた台湾人の努力の賜物によりこうして上質のコーヒーや紅茶を味わうことが出来ました。

大雪山

魚池を予定より遅い14:00頃に出発して北へ向かいます。

今夜は大雪山國家森林遊楽區にある民宿を予約済みで、台中市街から離れた山奥にあります。
雨具が要らない程度の小雨が振ったり止んだりを繰り返し、交通量が少なく見通しの良い道路を淡々と進んでいきます。

豪雨の中で道を間違える

途中で豪雨になり雨具を着込みます。

中部横貫公路を東へ進みナビの案内に従うまま細い横道に入っていきます。

途中から両側の植物がなぎ倒されている荒れた道路になり嫌な予感がしてきます。
そして予感の通りこの先は通行止で進めません。

Uターンして中部横貫公路まで戻り、ナビとスマートフォン両方の地図を見比べてルートを再確認。

ナビ(4年前の地図データ)に表示されている道路はスマートフォンの最新データで確認したら通行止になっていました。やっちまった気分のまま、かなり遠回りになる別ルートを検索し再出発。これで到着予定時刻が1時間以上遅れることになります。

今頃は民宿のバルコニーから夕陽を眺めているはずでしたが、なぜか今まさに夕陽に向かってスクーターに乗っています。

山道を登っていくと道幅が徐々に狭くなっていき、竹林に囲まれた分岐路に差し掛かります。
周囲は人の気配がしないのに民宿の案内標識だけが乱立しています。

濡れた急な上り坂をタイヤを滑らせつつ強引に登坂します。
ここは今回のツーリング最大の傾斜で前輪が浮いて倒れそうになり本当に恐怖でした。

本当にこの先に宿泊施設があるんだろうか?と不安になってきます。

山奥の民宿にチェックイン

それでも坂道を登り切ったところにある駐車場には四輪車でほぼ満車です。
ここでようやく『Welcome to 若茵 farm』の看板を発見。

今夜の宿・若茵農場に到着です。
スクーターを停めて荷物も降ろさずに民宿へ走ります。

ちょうどディナーの時間帯で、お客さんで大賑わいのテラス席を突っ切り急いで受付に向かいます。

印刷しておいた予約確認メールを渡してチェックインのはずが、スタッフさんから「貴方の名前が無い」と宣言されます。

民宿側のミスで私の部屋が予約されていなかったことが判明。代わりの空室が無いのなら周辺の別の民宿を巡って空室を探すか、下山して台中市内でホテルを探すなら2時間はかかるな…とか色々と考えを巡らせつつ待機します。

テラス席は景色の良い外側にお客さんが集中しています。

スタッフに「先に夕食はいかがですか?」と勧められ、とりあえず夕食を頂くことにします。

食後のコーヒーを飲み終えた頃に代わりの部屋が用意出来たとの声がかかり、予約したルームタイプとは別の部屋に通されます。

今夜泊まることになった部屋。

民宿のテラスから臨む夜景

予定では部屋のバルコニーから大雪山の景色をのんびりと撮影するつもりでしたが、予期せずバルコニー無しの部屋となったことで予定を変更し、カメラを持って民宿の屋上に向かいます。
ディナータイムを終えたテラス席には他の宿泊客が立派なカメラで夜景を撮っています。

期待していた星空も見えず、台湾の西海岸方面の夜景を狙って撮影します。

部屋に戻るとガラス窓の向こう側に大きなカエルがいて昆虫を食いまくっています。

日月潭でホテルをチェックアウトするときに「大雪山は遠いですよ」と言われましたが、台湾人と日本人の距離感にはかなり差があり、日月潭大雪山は直線距離で60kmくらいしか離れていません。私にとっては近いくらいの距離ですが、やたらと移動に時間がかかってしまいました。

今夜はカエルと虫の鳴き声に包まれながら早めに寝ます。

明日は台湾一周を終えて台北に戻ります。

ツーリング動画

台湾ツーリング 2013 臺灣機車旅遊 – [part7] –

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