- 5月2日阿里山
3:30起床して展望台まで歩いて登山
- 5:40頃祝山站展望台
日の出を迎える
台湾最高峰・玉山(新高山)を臨む - 7:00頃阿里山駐車場
屋台で朝食
ホテルをチェックアウト
阿里山公路で下山 - 13:00頃台南
日本統治時代の史跡巡り
鎮安堂飛虎将軍廟を再訪
大東夜市で夕食
阿里山
5月2日 – 台湾ツーリング4日目
AM3:30に予告されていたモーニングコールで電話のベルが鳴り一発で目が覚めました。3:40に念のための2度目のベルも鳴ります。昨夜は早めに寝たおかげで寝起きは悪くなく、防寒着に着替えて撮影機材だけを背負って部屋を出ます。
ホテル出入口の温度計は14度。さほど寒くありません。
ホテルから展望台まで登山
阿里山站(阿里山駅)周辺のホテル宿泊客の多くは、早朝に祝山站(祝山駅)展望台からの御来光見学に行く定番観光コースのためにこの辺りで一泊しています。本来は日の出前に阿里山站から祝山站へ向かう森林鉄路の定期便が運航されているはずでしたが事故により全線運休。私にとって森林鉄路に乗る唯一のチャンスだっただけに残念な気分を引きずりつつ祝山站展望台を目指して歩き始めます。
駐車場は真っ暗ですが観光客の元気な声があちこちから聞こえてきます。
暗い道の傍に觀日步道の案内板を見つけ矢印の方向へ進んでいきます。
ホテルから舗装路を15分ほど歩くと「往祝山觀日步道(祝山観日歩道へ)」と記されたゲートがあり、ここからは森林に囲まれた石畳の坂道を登っていきます。
暗い電球で照らされた細い道をひたすら登っていきます。
この坂道が登山と変わらない運動量となり防寒着の下は汗だくになりました。森林の至るところから他の観光客の声や息遣いが聞こえ、ご高齢の方々は息を切らして所々で座り込んで休憩しています。私は疲れよりも足の裏が痛くなってきて歩くのが辛くなってきました。
急坂の歩道が終わり舗装路に出て、ここから1km以上先の目的地までさらに歩き続けます。
祝山站展望台に到着
4:50頃に展望台に到着。空はまだ真っ暗です。
ほぼ1時間休憩無しの登山でした。もう歩かなくていいんだ、と一息つきます。
事前に調べた情報では、この展望台から左側に続く道路を登ると撮影に適した広場があるとのことで見に行くと、その展望スペースが柵に遮られて入れませんでした。
日の出を眺めたり撮影するために展望台最前列では熾烈な場所取り合戦が繰り広げられる、という噂も聞いていたのに、この日は月曜日でもあり鉄道運休の影響もあり人はまばらで、幸いにも場所取りには全然困りませんでした。
展望台の横には売店があり飲み物・お茶・軽食等が売られています。
この売店のおじさんが突然お立ち台に立ち大声で演説を始めました。
このお立ち台はおじさんが無断で展望台の手すり外側に作り、毎日この演説を日の出時刻ギリギリまで続けるため厳かで静粛な雰囲気は望めない、ということを事前に知っていましたがやっぱりいましたか、しかも1人じゃなくて2人。その2人の中間辺りに場所を取り三脚を立てて撮影のセッティングをします。
日の出
今朝は曇りで太陽も青空も見えません。
遠くの山脈の向こう側が赤く染まっているのが見えるだけです。
5:40の日の出をインターバル撮影で残すためほぼ2時間ここで粘りました(動画はYouTubeで公開中)。
太陽がほとんど見えなくてもゆっくりとうねる雲海が壮大でした。
朝日がほとんど見えないことに落胆して早々に帰り出す観光客もいて、最初から少なかった観光客がさらに減って展望台の最前列はガラガラです。
景色がよく見えるように展望台前の木はほとんど伐採されています。
台湾最高峰
空が明るくなってから売店のおじさんに「玉山在哪裡?」(玉山はどこですか?)と質問。
おじさんは日本語で「にいたかやま!」と山脈を指差します。
この展望台からは台湾最高峰の玉山(3952m)が見えます。
独立峰ではなく、目の前に広がる山脈に山頂が最も突出しているだけで一見して判別が困難です。
日本の富士山よりも高いことから日本統治時代は明治天皇に新高山(にいたかやま)と命名され、真珠湾攻撃の暗号「ニイタカヤマノボレ」の語源にもなっています。
下山してホテルに戻る
撮影を終えて機材を片付けてから徒歩で下山します。
展望台から道を隔てたところにある祝山站。
閉鎖されて人も列車もいませんでした。
道路のすぐ横を走る森林鉄路の線路。
道路脇にはシロツメクサが一面に生い茂っています。
帰路も祝山觀日步道を下っていきます。
歩道の周りは人口植林された森林が広がり、手すりが無い歩道からは高山特有の花が咲き間近で見ることが出来ます。
朝食後にチェックアウト
駐車場の屋台街まで戻り、昨日昼食で寄った屋台を再訪して朝食。
屋台のおばちゃんが私を覚えていてくれて、日本語で「おいしいよ!」と調理を始め、露骨に麺を多く入れて「これサービスね!這個service真的!」。他のお客さんからジロジロ見られて少々気まずい雰囲気の中で麺をすすります。
ホテルに戻ってすぐに荷物をスクーターに積んでからチェックアウト。これで阿里山観光は終わりです。次にここへ来るときは森林鉄路に乗って日の出を迎えたいと思いつつ出発します。
阿里山から次の目的地へ
歓迎再度光臨(また来てね)の文字を横目に入山ゲートを出ます。
起床からだいぶ時間が経っていますがまだ9:00を過ぎたばかりです。
交通量も少なく下り坂を滑り落ちるように順調に阿里山公路を下っていきます。
台湾の一般的な道路交通規制
スイスイ走っていくと道路工事で通行止があり路上で停車します。
道路に掲示された交通管制公告には管制時間と開放時間が記されています。
現在時刻は9:30。
9:20-10:00の管制時間の後に10:00-10:20の開放時間が続きます。
つまり、10:00までは通行止→その後10:00-10:20の間だけ通行可能になります。
”1時間のうち40~50分を完全通行止(管制時間)、残りの10~20分で交互通行(開放時間)”という工事規制は台湾では一般的な方法らしく、今回のツーリング中では同様の規制をしている工事区間を何度か通過しました。
このような規制となると待ち時間がやたら長くなります。
みんなエンジン止めてヒマそうに待機していました。
10:00の開放時間になり対向車線の車列が通過した後にようやく出発となりました。
この周辺の道路は狭いうえに観光バスやトラック等の大型車の通行が多く、対向車がセンターラインから何度もはみ出してくるため慎重にゆっくり走ります。
茶畑とバナナ畑
昨日走った縣道159甲號(159甲)と違い、阿里山公路にはこの周辺では茶畑が広がっています。
このまま嘉義市中心部まで戻らず、ナビで近道を検索し地方道を抜けるルートを選択します。
青い香蕉(バナナ)の実をぶら下げた植物だらけの土地を通過。
日本で食べている台湾バナナはここで作られてるのか。
香蕉樹と檳榔樹が生い茂る鬱蒼とした畑の途中には、レンガ造りの小屋の下で日焼けした原住民のお年寄りが農作物を捌いてる姿が。自分は異国にいる気分が高まります。
こんな景色の中を数十km気持ちよく走り抜けます。
やがて幹線道路に戻り退屈な直線ルートを走り続けます。
途中、翌日行く予定の場所の看板を見つけナビに地点登録しておきます。
台南
昼過ぎ頃、道路標識に今日の目的地・台南の文字が見えました。
途中で小雨がパラつくも台南に着くと青空からは強烈な太陽光、北回帰線直下にある台南の昼は熱帯らしい暑さです。
まずは2年前にも行った莉莉水果店で水分補給。
これ全部でたったの140元。
台南は私にとって全ての水分を天然フルーツで摂取出来る街。種類が豊富過ぎてどれを選んでいいか迷う激安のカキ氷や天然果汁を買いまくり、水代わりに飲んで食べてを繰り返します。
台南は日本(大日本帝国)を含めた各国の支配や対立を繰り返していた時代の史蹟が残る歴史の街で貴重な歴史遺産が充実しています。
台南空軍基地を離着陸する戦闘機の豪快な爆音が響き渡る古都・台南をスクーターで移動しながら見学していきます。
台南で見学した主な史蹟
赤崁樓(国家一級古蹟)
オランダ統治時代の1653年に建立されたプロヴィンシア城の城址。
オランダが台湾から撤退した後も行政機関・弾薬庫・病院・宿舎等に使われました。
現在の城は破壊や天災の後に再建されたもので、建物内には資料や展示物が並んでいます。
展示品の隅に控えめに飾られているのは羽鳥又男の胸像。
羽鳥又男は日本統治時代に日本人として最後の台南市長を務め、赤崁樓を含む多くの史蹟の復元・保存に尽力した人物。胸像の下には日本語で「台南の歴史古跡、文物及び民族の保存に対する功績は、実に偉大である。その台湾文化を尊重する精神は、今でも常に台南市民に偲ばれている。」と刻まれています。
延平郡王祠
オランダの占領を終わらせ台湾を統治した鄭成功を祀る祠。
鄭成功像が大切に祀られています。
私が訪問した日はちょうど2011鄭成功文化節の真っ最中。鄭成功は台湾では英雄視されていて台南市の至るところに鄭成功のポスターや旗がありました。
台南孔子廟
鄭成功の息子・鄭経が建てた台湾最古の孔子廟。
湯德章紀念公園
西来庵事件に関わった台南出身の弁護士湯德章(日本名・坂井德章)が祀られていて、台南孔子廟の近くで主要道路が合流するロータリーの中心に銅像が建立されています。
このロータリー周辺には日本統治時代に建てられた建築物が今なお現役で使われていました。
台南市警察局
日本統治時代に建てられた台南警察署をそのまま使用。
台南市消防局
日本統治時代に建てられた台南合同庁舎をそのまま使用。
嘉南農田水利會廳舍
日本統治時代に建てられた嘉南大圳組合事務所をそのまま使用。
國立臺灣文學館
日本統治時代に建てられた台南州庁舎で、米軍に爆撃された後も修復してそのまま使用。
台南車站
日本統治時代に建てられた台南駅舎をそのまま使用。
台南駅舎を遠い場所から見てからスクーターで駅の反対側に移動します。
國立成功大學
日本統治時代の臺灣總督府臺南高等工業學校が前身の国立大学。
学校名は鄭成功に因んでいます。
終戦後に旧日本軍の敷地と兵舎を大学敷地と統合したことにより、今でも旧日本軍の建築物の一部がそのまま校舎に使われています。
大成館
日本統治時代に建てられた日本軍の将校集会所をそのまま校舎に使用。
昭和天皇が植樹したガジュマルの樹
大成館の前に広がる芝生の広場・榕園に立つガジュマルの樹。
この樹は昭和天皇(裕仁)が皇太子(摂政宮、皇太子裕仁親王殿下)時代に台南を行啓された際にご自身で植樹されたもので、その解説も石碑に刻まれています。
ガジュマルの樹の前では白いドレスとタキシードのお二人が結婚記念写真の撮影をしていました。
足早に台南を巡ること数時間、もう夕日が傾き始めています。もっと見たい場所もありましたが大学を離れスクーターで台南郊外に向かいます。
鎮安堂 飛虎将軍廟
約15分後、台湾の歴史に興味を持つきっかけになった鎮安堂飛虎将軍廟に到着。
2年ぶり2回目の訪問です。
ここには日本海軍の零戦パイロットだった杉浦茂峰少尉が祀られています。
説明すると長くなりますので私がまとめた以下の詳細を一読ください。
「歓迎日本国の皆々様ようこそ参詣にいらっしゃいました」
この垂れ幕は新調されていました。
内部の様子は大きく変わっていませんでした。
杉浦少尉と久しぶりの対面。
壁には日の丸と零戦の絵画。
杉浦将軍様の学校劇と題されたパネルも新たに展示されていました。
地元の小学生が零戦と米軍機に扮して空中戦を繰り広げる寸劇を披露したことを紹介していて、この廟の見学をしたときの写真も一緒に飾られていました。
ここで杉浦少尉が撃墜された瞬間を見ていたご老人のお話を日本語で聞いたことが台湾の歴史に興味を持つきっかけになりました。この日は日本語を話せない方がお一人いらっしゃったので片言の中国語でやりとり。お祈りの手順をていねいに教えて頂き、それを真似して線香を両手に挟んで頭を下げました。
寄付
少ないながらも寄付をさせていただこうと現金を手渡したら、事務机の前へ連れられ「你的名字?」(あなたの名前は?)と聞かれました。用意された書類らしきものに自分で名前を書き、複写式の感謝状兼領収書を受け取りました。
一緒に飛虎将軍廟オリジナル御守(非売品)まで頂いてしまいました。これはうれしい。
外はすっかり暗くなり台南市街中心部に戻ります。今から宿を探すために走り回るのは面倒になり、事前に調べておいた日本人旅行者向け定番ホテルをナビで検索して直行します。
ホテルに予約無しチェックイン
劍橋大飯店(ケンブリッジホテル)に到着。
ほぼ完璧な日本語を話す受付スタッフさんに手早く空室を手配していただき即チェックイン。
角部屋シングルルームでやたらと広いのにわずか1960元でお得な部屋でした。
一旦シャワーを浴びてから夕食のためにすぐ出かけます。
夜市で夕食
台南の夜といえば流動夜市。「流動」というからには夜市が日々転々と移動してるイメージを持っていましたが、実際にはいくつかの夜市がそれぞれ決まった曜日に決まった場所で開催されていて、流動しているのは夜市に出店してる屋台だけだそうです。今日(月曜日)は大東夜市が開催されていて、ホテル職員さんに大東夜市の場所を聞いてから出発しました。
教えていただいたとおりに國立成功大學東側の林森路を南下すると反対車線側にやたら光と音を発する一角を発見。大東夜市の看板も見えてきました。
夜市の横にある駐輪場はスクーターが詰め込まれ過ぎて駐輪出来ません。
100mくらい離れた駐輪場にスクーターを停めてから歩いて夜市へ移動します。
大東夜市
サッカー場よりやや狭いくらいの広さで屋台が密集しています。
射撃、金魚すくい、パチンコ、
昭和の香りが漂うアナログな娯楽で子供たちが楽しんでいます。
アパレル、靴、ネイルサロンの屋台まで揃っていましたが、やはりメインは飲食系の屋台です。台湾料理だけでなく各国料理もあります。大学の近くにあるせいかお客さんは若い世代が多いようにみえました。左側通行になって人が流れる通路をノロノロと歩きながら自分の夕食を買って食べます。
臭豆腐
2年前に食べた臭豆腐は全然臭くなかったけど今回はけっこう臭かった気がします。
薬膳羊大骨湯と椰仁乳(ココナツジュース)
食事を終えてホテルに戻り風呂に入ってからベッドに倒れ込みます。今日は午前3時台に起きて登山したり走ったり体力的にはきつかったけど見どころが多く充実した一日でした。特に台南には日本統治時代の歴史の跡が多く、再訪したら数泊して歴史遺産をくまなく巡りたいくらいです。
明日は台湾で最も有名な日本人の銅像を拝んでから南部横貫公路の温泉地へ向かいます。
ツーリング動画
台湾ツーリング2011 / 臺灣機車旅遊2011 – [ part 4 ]
コメント