- 5月5日光復
民宿で朝食
- 9:00頃林田山
日本統治時代に林業で栄えた集落の散策
日本映画と音楽MVのロケ地巡り - 13:00頃花蓮
台湾のバイク店を見学
昼食を奢ってもらう - 14:30頃太魯閣(中部橫貫公路)
絶景の峡谷をツーリング
台湾最高所のガソリンスタンドで給油
標高3000m超の悪天候ツーリング - 19:00頃合歡山
台湾最高所のホテルに宿泊
光復
5月5日 – 台湾ツーリング7日目
いつもより遅めの8:00過ぎに起床。
8:30、隣の部屋に泊まっていた台湾人夫婦と一緒に朝食。
この宿でもっとゆっくりしていきたいところですが、今夜の宿も既に予約済で早めのチェックインをしたくお休み中の猫さんにはご移動願って早々に撤収の準備をします。
宿泊料を払い、ご主人から日本語で「e-mailあるか?e-mail?」「ありがと!」と見送られて宿を出発しました。
薄曇りの道を北へ向かいます。
道路には機車専用(スクーター専用車線)と自踏車専用(自転車専用車線)がありました。
林田山
スクーターで約15分、林田山林業文化園區(林田山)に到着。
昨日は大幅ルート変更で行けなかった目的地です。
林田山は日本統治時代は森坂(もりさか)と呼ばれ林業の一大拠点として発展しました。最盛期には数千人の台湾人と日本人が暮らし、学校・幼稚園・病院・商店等のインフラも揃っていました。ここで伐採された木材は靖国神社や明治神宮等の日本を代表する建築物にも使われています。敗戦で日本人が去った後も林業は継続されましたが、1972年の森林大火災、1991年からの天然林伐採禁止の影響で林業が成り立たなくなり林田山は急激に衰退します。その後に歴史的価値が見直され一部の建築物が文化財登録され、現在は観光地化が進んでいます。
専用駐輪場にスクーターを停め時間をかけて集落を見て回ります。
林田山を知った経緯
私自身は最近まで林田山のことを全然知らず、ツーリング計画中に元台湾駐在日本人の方から初めて林田山のことを教えていただきました。自分なりによく調べてみると、私は林田山を舞台にした映像を既に2つ観たことがあることに気付きました。
林田山を舞台にした映像その1 – 日本映画『トロッコ』
芥川龍之介『トロッコ』が原作の映画。ツーリング出発3か月前に飯田橋(東京)の映画館まで観に行きました。
日本国内に理想的なロケ地が見つからず、林田山を舞台にするため脚本まで書き換えられました。
林田山を舞台にした映像その2 – 蔡淳佳『回家的路』MV
シンガポール人歌手・蔡淳佳が歌う『回家的路』のMV。林田山で撮影されています。
中孝介『家路』の國語カバー曲で、蔡淳佳ファンである私が特にお気に入りの曲と映像です。
撮影地は林田山だったのか、これは行かねばなるまいと今回のツーリングのルートにしっかり組み込みました。私にとってはロケ地巡りでもあります。
森林鉄道跡
林田山の歴史を記した年表。
年号表記は日本の大正→昭和に続いて台湾の民國と記されています。
林田山には木材運搬のために整備された線路が今でも残っていて、実際に林業に使われた状態でそのまま残っている(ほぼ放置されている)線路の他、それを手入れして観光用にした線路、観光用に新しく敷設された実用性の無い線路が混在しています。
実際に林業に使われた状態でそのまま残っている線路はほとんどが雑草が生えて錆だらけです。
手入れされ観光用になっている線路は枕木とバラストが新品交換され燈籠も立っています。
線路上を歩くことが出来て観光客の撮影スポットになっていました。
その先は高架になっていて線路上を歩くことは出来ません。
更にその先には廃線になった線路が森林地帯の奥深くまで何kmも続いるそうです。
まったく手付かずの状態で草木が茂って線路はよく見えません。
客車として使われた車両も展示されています。
現存する日本式家屋
線路跡のすぐ近くには日本人が多く住んでいた名残ともいえる日本式家屋が現存していて、今でも台湾人が実際に住んで日常生活を送っています。
日本家屋が並ぶ小道には住民のものと思われる乗用車や自転車が駐輪してあり、飼い犬も家の前で寝ていました。
瓦屋根とトタン屋根が並ぶ古い日本の情景が目の前に広がっています。
林業を衰退させた大火災
林田山の林業衰退の発端となった1972年の大火災の被災跡もほぼそのまま保存されています。
住宅地域よりも森林地帯のほうが焼失面積が圧倒的に広くかったそうです。
焼失した家屋の焼け跡が火災紀念として残されています。
火災は免ても衰退により住民を失って廃墟となった住宅も残っていました。
歴史的価値の再評価
林業の継続も困難となり一旦は衰退していた林田山も、その林業跡地や日本式住宅が再評価され2006年に文化資産登録されています。
文化財指定の告知板。英語表記はMorisaka Settlement
ロケ地巡り
先述の通り私にとって林田山訪問はロケ地巡りでもあります。
その撮影シーンをまとめました。
映画『トロッコ』(2009年 日本)
アツシとトキが走っていく道路
お爺さんの家に向かう途中にある鳥居
お爺さんと住人がテーブルを囲んでいた広場
ラストシーンで夕美子一家がクルマで去っていく道
お爺さんの家に続く坂道
お爺さんの家の玄関
蔡淳佳『回家的路』MV
ほとんど需要はないかもしれませんが、数少ない日本の蔡淳佳ファン向けのロケ地シーン。
少女2人が自転車に乗って走る曲がり角
蔡淳佳が立っていた線路
蔡淳佳が座っていたすべり台&そこでで同じ場所に座る日本人ファン
観光地化としての林田山
時間が経つにつれ一般車や観光バスが続々と入ってきました。
昼頃には売店や屋台に観光客が集まって賑わい出します。
林業だた集落としての博物館や資料館の他、映画館・木材アート作品の展示・カフェ等もあって観光客に対応していこうとする勢いを感じます。『一つの産業で繁栄→突然廃業→急激に衰退→再評価→観光地化』という時代の流れが九份に似ていると思ったら、すでに一部では小九份と呼ばれているそうです。
売店ですっごく苦い烏龍茶を一杯飲んでから林田山を後にします。
花蓮
林田山から北へ向かいます。
退屈な直線道路でも周囲に広がる農地と遠くに見える雲に覆われた山岳地帯はなかなかの絶景です。
13:00頃には東海岸の都市・花蓮に到着。
台湾のバイク店を見学
真っ先にバイク店の泰多車業に向かいました。
2年前のツーリングで花蓮に泊まった夜にDUCATI Hypermotardを撮影して自分のブログに公開したところ、花蓮在住歴のある元駐在の日本人が出入りしていたバイク店の店長さんのものだと判明。今回は台湾のバイクショップを見てみたくて寄ることにしました。
店内の様子。
DUCATI・Triumph・カワサキの正規代理店の看板を掲げつつも、台湾人の足としての機車(125ccスクーター)も取り扱っていました。
店長のお母様からは日本語で「にほん、じしん、わたしたち、しんぱい。」。ありがとうございます。
店員さんと昼食
店長の弟さんと一緒にタンデムで昼食に出かけることになり、昼飯をおごっていただきました。
ごちそうさまでした。
私が日本でapriliaのバイクに乗っている話をすると、「apriliaのバイクは花蓮じゃ見たことない」そうで、台湾でもやっぱりapriliaは不人気でした。
食事が済んで泰多車業に戻りスタッフの皆さんにご挨拶してから出発します。
お忙しいところお邪魔しました。
太魯閣
花蓮から30分、台湾を代表する景勝地の太魯閣に到着。
ここから合歓山(3417m)山頂付近にある予約済のホテルを目指します。
中部橫貫公路の起点付近にあるガソリンスタンドで給油を済ませます。
太魯閣の起点にある有名な鳥居には東西橫貫公路と記されています。
中部橫貫公路と東西橫貫公路は呼称が違うだけの同じ道路で、文字通り東海岸(花蓮)から西海岸(台中)までの台湾本土を横(東西)に貫きます。
日本統治時代に理蕃政策を目的として開通した道路を、後に台湾が整備した舗装路です。
起点(花蓮)→天祥
太魯閣の見どころは山ほどあれど早めにホテルへ着くため一気に走り抜けていきます。
この辺りは走るだけでも絶景の連続で、絶壁を削り取った洞窟のような道路を通り抜けつつ圧巻の岩壁と渓谷を体感出来ます。
スクーターで走り抜ける太魯閣を動画で。
太魯閣観光の拠点となっている天祥に到着。
ホテル・バス停・観光案内所・売店等があり観光客の多くはここで宿泊するか折り返して下山します。
崖崩れと交通規制
ここではほとんど休憩せず天祥から先に進むと、いきなり道路にロープが張ってあり『交通管制』の立て看板が。
崖崩れで緊急工事中のようです。
これを完全通行止と勘違いしてガッカリしつつ引き返そうと一旦Uターンしました。
予約したホテル宿泊はあきらめて今夜は花蓮で泊ろうかと考えていたところ、阿里山から下山する日にも見たような案内版が目に入りました。
通行止ではなく単なる交通規制=待っていれば通行出来ることが判り、またUターンしてロープ手前で交通整理のおじさんに規制のことを聞いたり雑談したりで待機します。
16:00になり規制解除。危うくあきらめて下山するところでした。
おじさんは日本語で「あぶないよ、あぶない」と言っています。
規制区間は道路脇の崖が豪快に崩れ去っていて本当に危ない状態でした。
しばらく走るとまた時間帯指定の交通規制がありここでも20分くらい待ちます。
他の皆さんも退屈そうです。
この規制区間に工事箇所があり、絶壁から流れる水のために泥に浸かって路面が見えずブレーキをかけたら前輪から滑ってしまいました。今回のツーリングで初の転倒です。無事故が最大の目標だったのに…後続の四輪車を先に行かせてからスクーターを起こします。
幸いにも巨大な荷箱が支えになってバイクは無傷、転倒時に左脚を挟んだもののプロテクターをしていたおかげで身体も無傷。荷箱がキズつき衣服が泥だらけになっただけで、自分もスクーターもダメージ無しで済みました。
標高1000m超
気を取り直して慎重に走り出します。
ここから目的地まで約40kmだからのんびり走っても余裕があるだろう、壮大な山岳地帯を駆け抜けてツーリングを楽しめそうだと期待は高まります。が、それは甘かったことを思い知らされることになります。
ガードレールは濃霧対策のため視認性の高い黄色に塗装されています。
標高1300mを超えるあたりから路面はウェット、霧は濃くなっていきます。
標高1600m付近の衡山隧道(衡山トンネル)付近が最も濃霧がひどく、トンネル内まで濃霧に覆われヘッドライトの光も届かず反射板が反射していません。路面もほとんど見えず遠くに見えるぼやけた光に向かってゆっくり走ります。
衡山隧道を通過するときの動画。
標高1800m付近でようやく霧が晴れてきたと同時に急に寒くなり、碧綠神木(標高2150m)の駐車場にスクーターを停めダウンと雨具を着ます。
南国の台湾で初めて防寒具を着込んでのツーリングとなります。
ここから更に標高3000m超の高地まで向かうことになり、どれだけ寒くなるのか予想がつきません。
標高2000m超
走り出して数百mで標高2172m(日本の国道最高地点/渋峠)を突破。
その先の標高2400m付近で停車して路肩から眺めた見事な雲海。
路面も乾き天気も回復してきました。
眼下に雲海、遠くに青空、鳥のさえずりが響き、広大な大自然に気持ちも晴れてきます。
しかし、心と身体に余裕があったのはこのあたりまででした。
台湾最高所のガソリンスタンド
台湾で最も高い場所にあるガソリンスタンド・關原加油站に到着。
ガソリン残量は十分でしたが念のためここで満タンにします。
この近くに営業中の民宿があることを店員さんが教えてくれました。
日本の公道最高地点よりも高所の道路
關原(標高2374m)の標識の近くには太魯閣国立公園警察・合歓小隊もありました。
事故や故障で万が一トラブルになった場合はここ(關原)まで戻ってくることにします。
空が暗くなり始める頃には大禹嶺(標高2565m)に到達。
ここは三叉路になっていて8号線に繋がる合歡隧道(合歡トンネル)があります。
道沿いで食品販売もしている食堂も営業していてお客さんも出入りしています。
目的地まで約8km、夏用グローブで走るのが辛くなってくる。
その先で標高2716m(日本の公道最高地点/乗鞍)を突破。
驚いたことにここでも農作物の屋台が営業していました。お客さん来るのでしょうか?
この辺りから寒いだけではなく明らかに空気が薄くなり、頭と耳が痛くなってきます。
スクーターもアクセルほぼ全開にしても加速しなくなり急坂ではエンスト寸前となります。
標高3000m超
右側にぼんやりと合歡山管理站が見えす。
ここには広い駐車場があり晴れていれば観光客が大勢集まる場所のはずですが、今は人の気配が全くありません。
過酷なツーリングルート
この付近でついに標高3000mを突破。
日本では実現出来ない標高3000m超でのバイク自走ツーリングです。それでも感動や達成感はほとんど無く、霧と雲で景色はほとんど見えない中で体調不良とスクーターの不調で不安のほうが大きくなります。
標高3100m付近で日没の時間を迎えてしまいました。もちろん美しい夕陽は見えません。
鳥と虫の声が完全に消えて強風の重低音に包まれ、明らかに周囲の植物も激減して別世界に突入したようです。
強烈な横風でスクーターが何度も倒れる寸前となりかけ、両足を路面に擦りながら慎重に進みます。視界は5m程度で事故回避のため対向車が見えたら減速してホーンを鳴らします。
体調も急に悪くなり頭痛+耳鳴り+吐き気が悪化、寒さで全身の震えがとまらず指が冷えて思うようにレバーが握れません。
ここでナビを見ると標高3179mを示していました。
日本の槍ヶ岳(3180m)山頂とほぼ同じ標高の道路をスクーターでツーリングです。
完全に夜になり、照明の無い暗黒の道路は視界3m程度、霧か雨か雲か区別がつきません。アクセル全開でもエンジンが回らず時速30km/h以上出せず、もはやツーリングを楽しむという環境ではなくなっています。
ツーリング計画中はこのルート走破を楽しみにしていたのに、こんなに過酷だと想像していませんでした。
合歡山
18:40、ようやく合歡山(標高3158m)の標識が見えました。
すぐそこにある合歡山荘の電光掲示板は濃霧で判読出来ず赤い光の塊にしか見えません。
台湾最高所のホテルにチェックイン
ここから100m、やっとの思いで今夜泊まる松雪樓に到着。
感度を最高にして撮影しました。肉眼では入口の光が見えるだけです。
松雪樓は蒋介石の別荘だった場所に建てられた台湾最高所(標高3150m)にある人気のホテルです。
予約必須で約1か月前に代理人を通じて何とか部屋が取れました。
受付のホテル職員さんはこの悪天候の中をスクーターで自走してきた日本人に驚いている様子です。
ホテルのビュッフェで夕食
ルームキーを受け取り部屋にジャケットと荷物を放り投げ、19:00でオーダーストップのレストランへ18:57頃に滑り込みました。ここで食事を逃したら他で食べる場所がありません。
夕食はビュッフェ。
30人くらいのお客さんが入っていてほとんどが家族連れです。
閉店時間ギリギリまで料理は継ぎ足されるしスタッフは親切だし料理は旨いし、富士山八合目とほぼ同じ標高にあるホテルとは思えないほどのレベルの高さです。
ステーキは焼き具合までオーダー可能でした。
烏龍茶と紅茶の種類も豊富で何杯もおかわりしてしまいました。
外とは別世界の快適な室内でようやく気持ちが落ち着いてきます。
レストランに飾られたパネル。
晴れているときはこのような景色です。冬は雪も降るそうです。
20:00の閉店近くになりお客さんが次々とレストランを出て行く様子を見て私も早々に撤収します。
ホテル内外の様子
部屋に戻る前に外に出てみます。
星空も雲海も無く相変わらずの濃霧で目の前は真っ白。岩壁を照らす照明に蛾の群れが集まりバタバタ音を立てて飛び交っています。
スクーターの荷箱に入れっぱなしだった荷物を回収してホテルへ戻ります。
今日の気象情報を知らせるパネルが掲示されています。
湿度100%は納得。
醫療站(医務室)には高山病対策に使える酸素吸入器も設置されていました。
廊下は広くて余裕があり清掃が行き届いています。
客室(最も狭い部屋)は一般的なビジネスホテルと同じような設備でした。
台湾で初めて暖房を入れ、熱めの風呂に入り身体を休めます。もはや完全に冬の気分です。
荷物を整理して明日の準備にとりかかるも体が思い通りに動きません。風邪をひいたわけでもないのに強烈な頭痛とめまいで部屋を歩くのもやっとです。どうやら人生初の高山病に罹ったようで全然やる気も起きません。
荷物は散らかしっぱなしでベッドに入り頭痛に耐えつつ寝ることにします。
明日は台湾公道最高地点に到達し、その後は台中へ向かいます。
ツーリング動画
台湾ツーリング2011 / 臺灣機車旅遊2011 – [ part 7 ]
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