[bike]台湾ツーリング2011 臺灣機車旅遊 – part7 寶來→南部橫貫公路→光復

台湾ツーリング2011
この記事(part7)の旅程
  • 5月4日
    寶來

    商店街の自助餐で朝食

  • 8:00頃
    南部橫貫公路

    台風被害の跡が残るルートを進む
    桃源→梅山→交通規制
    大幅なルート変更

  • 16:30頃
    光復

    鉄道付き民宿にチェックイン
    敷地内鉄道の試乗
    貴重な骨董品だらけの倉庫を見学
    ご主人に誘われて夕食→お茶→鉄道談議

寶來

5月4日 – 台湾ツーリング6日目

6:30頃に起床、人の気配が感じられないホテル通路を往復してスクーターまで荷物を運びます。

8:00から始まるホテルの朝食を待っていられず7:00過ぎにチェックアウトします。
誰もいない受付にキーを置いて出発しました。

朝日に照らされる赤茶色の屋根が並ぶ寶來

自助餐で朝食

寶來の商店街にある自助餐(ビュッフェ式食堂)に入ります。

ここで朝食。
薄味のおかずが朝食にぴったりです。

お客さんのほとんどが常連さんらしく店のおばちゃんと仲良く雑談していました。
食後に隣の店で買ったフルーツジュースを飲み干してから出発します。

南部橫貫公路

寶來から東へ向かいます。細い峠道ながら交通量はそこそこ多めです。

道路脇のマンゴーの樹にはまだ青い未熟な実がぶら下がっていました。

工事個所だらけ

天気は快晴で青空が広がりツーリング日和で大自然を満喫、という気分になりきれないほど2年前の台風被害の跡がこの周辺に残っていました。

細い道路に重機を載せたトレーラーが時速20kmくらいで走っていきます。

その重機の行先には、修復に時間がかかりそうな崩落現場が所々に残っていました。

桃源

モタモタ走ってようやく桃源の集落に到着。
ここも主に原住民族が住む温泉地で、寶來よりも規模は小さく宿泊施設や食堂は少なめでした。

この周辺では学校や公共施設に桃源鄉と記されています。

この街こそが仙人が住む理想郷、というわけではなく、「桃源」は地名、「郷」は台湾における行政区分であって深い意味はありません。旧住所表記は高雄縣桃源鄉でしたが2010年以降は行政区画が変更となり高雄市桃源區と表記されるようになりました。

舗装路が失われたルート

この桃源を過ぎた辺りから道路とその周辺が台風被害の影響で酷いことになっていました。

舗装路が突然途切れて踏み固められた砂利道になります。

遠くの崖の上で何台もの重機が作業している様子が見えます。
ナビで確認すると小さく重機が並んでいる辺りが南部橫貫公路が元々あったはずの場所でした。
こんな道路でも速度制限15km/hの標識が立っていました。

かなり強引に敷設された河川横断通路を通過します。

前走の散水車が水を撒いて砂埃が沸きヘルメットのシールドが泥だらけになります。
それでもこの路面では散水してくれたほうが走りやすいくらいでした。

ここを通過したときの様子を動画で。

南部横貫公路 八八水災 被災現場 桃源〜復興

ここでパンクや事故をしないよう穴だらけの砂利道をヒヤヒヤしながら最徐行していくと、急に舗装路が復活しました。

梅山

標高1000mを超え梅山まで到達しました。
気温が低くなっていることを肌で感じられます。

梅山もやはり原住民族の集落で、地名の通り梅の名産地であり温泉もあります。

玉山國家公園にも属する自然の宝庫で、この先の山岳地帯を越えて2年前にも来た利稲も通過して台湾本土の東海岸まで到達する予定でした。

予想外の交通規制→大幅ルート変更

しかし、ここで予想外の道路封閉(通行禁止)の告知が立っていました。

工事関係車両以外は先に進めません。
ツーリング出発前に入念に調べたはずだったのに、時間帯によって通行可能な部分的交通規制と勘違いしていたようです。

これは本当に困ったことになりました。
やむを得ず大幅に走行ルートの変更を迫られることになりました。

台湾南部の略地図で解説。
梅山 … 現在地、ここから東側が通行止
光復 … 目的地、今夜の宿泊予定地

青線ルート
『 梅山から先の南部横貫公路を抜けたら北上して花蓮縣の目的地に寄ってから光復の民宿へ向かう 』
これが今日の予定でした。2年前は通行止だったけど今年は大丈夫、と勝手に勘違いしていました。
赤線ルート
『 梅山から折り返して南部横貫公路を西方向へ下り、そのまま南下して南廻公路を経由して東海岸へ抜け、北上して光復の民宿に直行 』
こう変更することにしました。今日中に寄る予定だった花蓮縣の目的地訪問は明日に延期とします。

このルート変更で実走距離が数倍になりました。
ナビでルート検索すると最短で実走336km。日本の東名高速[東京IC→名古屋IC]間の約315kmよりも更に長距離です。

せっかく台湾まで来たのにアスファルトだけを見て距離を稼ぐような移動はしたくありませんが、今夜の宿はどうしても泊まりたくて1か月前に予約済です。現在時刻が9:30、日没前の16~17時頃には光復に到着を目標にすることとしました。荷物満載の125ccスクーターで336kmの一般道(しかも台湾の道路)を半日で走り切ることがどれだけ余裕が無いかライダーなら想像がつくでしょう。つい途方にくれてしまいますが悩んでる時間ももったいなく、走り切ってやるぜ!とUターンして走り続けることにしました。

迂回ルートで走った南部の道路からも土石流の被災地が断続的に数十km続いている様子が見えました。

八八水災(2009)→東日本大震災(2011)

ここでツーリングとは直接関係の無い話を記しておきます。

前夜に寶來のホテルでテレビを付けっ放しにしていたとき、たまたま『Bye-Bye莫拉克』という映画を放映していました。台湾では2009年8月8日の台風被害を八八水災、その巨大台風を莫拉克(Morakot)と呼んでいます。

『Bye-Bye莫拉克』を紹介するニュース映像
2010-03-14公視晚間新聞(“Bye-Bye莫拉克” 紀錄災童心聲)

台風被害に遭った子供たちがその後どうやって災害と向き合っているのかを記録したドキュメンタリー映画で、土石流で亡くなった友達宛てに少女が手紙を書き続けたり、仮設住宅で生活する少女が巨大な岩に小石を投げつける様子が映し出されていました。撮影場所は両方とも岩だらけで広い河川敷のような土石流の跡、つまり私がスクーターで走ってきた砂と岩だらけの地域は全て八八水災の被災地でした。日本では全くと言っていいほど報道されず被災後の状況を伝える日本語の情報もほとんどありませんが、私が自分の目で見て調べた限りでは八八水災の復興は全然終わっていませんでした。

村が丸ごと流されて消滅、約400人の村民が生き埋め、2年経っても避難所生活、いつ片付くのか分からない土砂と岩、規模と原因(台風か津波か)の違いこそあれど、今年2011年の東日本で起きている状況とほとんど変わりません。時間の経過と共に世間から忘れ去られていくことは被災者の皆さんにとって不安でしょう。今回は予定通りのルートを通過出来ませんでしたが、八八水災は未だ現在進行形であることを自分の目で確認出来たことには大きな意義がありました。これで私が八八水災を忘れ去ることは無いでしょう。
そして、自国の復興さえ全然終わっていない台湾から私たち日本人は東日本大震災に対する莫大な援助をして頂いたことも忘れてはならないと思います。

300km超の迂回ルート

無謀な迂回ルート走行中は写真も動画もほとんど撮らず運転に集中しました。

南下するルートでは一直線の農道が多く信号も渋滞もほとんどありません。

屏鵝公路の休憩所で南シナ海を眺めながらマンゴーシェイクを一杯。
休憩はこの一度だけでした。

南廻公路をノンストップで越えて東海岸に到達します。
2年前もここで撮影したことを思い出しました。

花東縦谷公路を北上、遠くの山には薄暗い雲がかかり始めた途端に小雨が降ってきましたが、雨具を着る時間ももったいないので濡れたまま走り続けます。

南横公路の標識を発見。
予定では午前中にここを通過するはずでした。

ガソリン給油2回と休憩1回以外はひたすら走り続け目的地へ順調に近付いてきました。
こんなに景色が良いのにただ通過するだけでもったいないことをした感が拭えません。

光復

16:40光復站(光復駅)前の交差点を通過。

光復は東海岸の都市・花蓮から約50km南にある小さな町。他の地域に比べると明らかに観光客は少なく日本人もあまり寄らないそうです。私も2年前のツーリングでは光復站の近くにある花蓮觀光糖廠でアイスを食っただけでこの町は素通りしていました。

民宿に到着

ここから駅前の道を1kmくらい内陸側に進み、道路沿いの石碑に『 盛夏の軌跡 』の文字を見つけます。

石碑の後ろ側の砂利道を進むと犬の群れが怖いくらい吠えてお出迎えしてくれました。
ここにも『 盛夏の軌跡 』の表札。

予約しておいた民宿・盛夏的軌跡に到着です。

台湾では日本語のひらがな『 の 』が一般的に使われていて、日本語の「~の」とほぼそのまま同じ意味です。【の】と名乗る日本人の私としてはちょっと嬉しい気分です。
正式名称として盛夏的軌跡、看板やパンフレットの表記では盛夏の軌跡、と使い分けられているようです。

小さな橋を渡ると芝生の庭と2階建ての住宅兼受付兼食堂が見えました。
この住宅には民宿を経営するご主人とそのご家族が住んでいます。

民宿のご主人が近付いてきて日本語で「こんにちは」。
ご家族の子供たちとそのお母さんが庭で遊んでいます。

敷地内にロッジが数軒建っていてそれぞれ客室になっています。
6~2人部屋があり家族や団体向けの大部屋のほうが多いようです。

私が泊まる精緻雙人套房(ダブルルーム)
天井が高くセミダブルベッドが置いてあっても余裕があって広い間取りです。
バスルームは浴槽無しシャワーのみでした。

この民宿は日本の旅行代理店ではどこも取り扱いが無く、約1か月前に代理人の仲介により予約しました。ご主人によると日本人は滅多に泊まりに来ないそうです。私が調べた限りでは、台湾リピーターの日本人にもこの民宿はほとんど知られておらず日本語の宿泊レポートも見つからず、中国語の情報しか無いまま泊まりに来てみました。
日本人が日本語サイトでこの民宿の宿泊レポートを書くのはおそらく私が初めてになるかもしれません。

軽便鉄道が動態保存されている宿

それでもこの民宿にどうしても泊まりたかった理由がこれです。
敷地内に線路が敷設されています。

単なる庭園の演出としてではなく実際に鉄道としての実用に耐える線路です。
全長約50mでポイント切り替えも出来て引き込み線もあります。

その線路は緩やかなカーブを描いて私が泊まる部屋の前を横切っています。
線路は池を越えた先に小さな車庫があります。

車庫には黄色い火車頭(機関車)が置いてありました。

この民宿から数kmくらい北に日本統治時代に林業の拠点として栄えた林田山という集落があります。現在は林田山での林業は廃業状態となり、使われなくなった木材運搬用の機関車をこの民宿のご主人が引き取ってこの民宿の敷地内で動態保存しています。
先述の「今日中に寄る予定だった花蓮縣の目的地」とは林田山でした。

動態保存ということで、この機関車は今でも動きます。

民宿のど真ん中を機関車が走る様子を動画で。
運転しているのが民宿のご主人、途中から乗り込んでくる子供たちはご主人のお孫さん。

機関車2台の中間に加藤製作所(KATO WORKS)製の台車1台を連結し、戻るときは反対側の機関車に乗り換えて運転しています。ご主人の説明によると日本語で「これ、ガソリンのエンジン、トヨタ」。軽油の匂いがしたので実際はディーゼルエンジンと思われます。

引込み線の先には倉庫に続く扉があり、ここにも別の機関車が1台置いてあります。
ご主人の説明では「トヨタ、ガソリン、小さい」

こちらは機関車1台のみで、運転席の後ろ側に人が座れる座席が増設されていました。

当然こちらも動態保存され実際に走行可能でした。
倉庫と外を往復する様子を動画で。

この時代に農業や林業で使われた台湾の小型機関車は現在では観光用の展示物になっていたり廃線上で朽ち果てていたりする車体がほとんどですが、この家族経営の小さな民宿で3台も動態保存され、しかも宿泊客なら機関車が稼働状態であれば乗せていただくことも出来ました。

貴重な骨董品だらけの倉庫

機関車とは別に、倉庫に収められている骨董品コレクションも貴重なものばかりでした。

日本統治時代に林田山で実際に配備されていた消防車
リヤカーのような車体に水桶と手動ポンプが載せられています。
消防士が実際に着ていた消防服とヘルメットも展示されていました。

台湾で販売されていた日本語ヒット曲集や台湾人歌手のレコード。
この他に香港映画のサントラ盤や国籍不明の歌手のレコードもあり、動作可能なレコードプレーヤーも設置してあってレコードを再生していただけました。

台湾でも日本でも古い街でたまに見かける『ケーホー号 津田型』の骨董ポンプがありました。

その他、映写機・映画フィルム・映写スクリーン、金庫、自転車等が保管されていました。

ご主人に誘われて夕食

倉庫見学の後にはご主人から日本語で「あなた、わたし、ごはん、たべる!」と夕飯にお誘いいただきました。いずれにせよ民宿から外出して飲食店を探すつもりだったので二つ返事でご主人についていきます。

ご主人運転のクルマで民宿を出て、途中でご主人のお友達が乗り込み3人で光復站方面へ向かい、常連らしき食堂に入店します。

お客さんのほとんどが顔なじみで別々のテーブル越しに大笑いしながら盛り上がっていました。

夕食はご主人のおごり。ごちそうさまでした。

食事から帰ってくると民宿は真っ暗。
庭の植木には眩しいくらいの電飾が点滅していました。

ご主人に誘われてお茶&鉄道談義

部屋に戻る前にご主人にお茶に誘われ、事務所のテーブルでお茶を淹れていただき片言の日本語と中国語で雑談です。

この民宿を創業した頃の古い写真を見せていただきました。

線路の敷設工事をしたときの写真があり、奥に小さく写っている男性ははご主人のお父様だそうです。
写真に写っている機関車は崩壊寸前で、ご主人が引き取った後に手間をかけて修復したものと思われます。

日本国内のオークションで本物の蒸気機関車を落札し、日本から台湾まで運んだことを取材されたときの新聞記事です。

ご主人の尋常ではない鉄道マニアっぷりが半端ではなく、書籍・資料・写真が続々と並びほぼ全てが鉄道関係のものばかりです。

部屋に戻るときに本を何冊もお借りした、というか手渡されました。
もちろん全て鉄道関連の書籍です。

猫を誘って読書

私のスクーターに民宿の猫さんが座っていて、いじって遊んでたらなついてしまい部屋までついてきました。

今夜は部屋の外にあるテーブルで猫さんと一緒に読書です。

今日は予想外の長距離迂回で大変でしたが、この宿に泊まれただけでも大満足です。

明日は林田山に寄ってから花蓮と太魯閣を通過し合歓山山頂付近を目指します。

ツーリング動画

台湾ツーリング2011 / 臺灣機車旅遊2011 – [ part 6 ]

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