- 4月29日花蓮
小さな食堂で朝食
小型飛行機で遊覧飛行体験 - 10:30頃光復
鉄道付き民宿で2年ぶりの再会
小さな食堂で昼食 - 15:00頃南部橫貫公路
抗日運動の記念碑や史跡を見学
- 17:30頃利稻
民宿にチェックイン
小さな食堂で夕食
花蓮
4月29日 – 台湾ツーリング2日目
6:00に起きて急ぎ気味に出発の準備をします。
藍蜻蜓民宿のオーナーさんが7:00に朝食に連れて行っていただける約束をしていて、時間ぴったりの7:00にオーナーさんが住宿に到着、クルマに同乗して近くの食堂へ向かいます。
食堂で朝食
小さな食堂で朝食をおごってもらいます。
ごちそうさまでした。
食事中に携帯電話を渡され、昨夜私に連絡していただいた日本語を話せるご親戚が通訳をしていただけました。
「飛行機に乗せてあげるから、今から飛行場に行きなさい」
藍蜻蜓民宿は同じ敷地内に航空機用の滑走路と格納庫と小型飛行機があり、その小型飛行機で花蓮上空を遊覧飛行していただけることになりました。これを期待して宿を予約したわけですが、天候・機体の状態・パイロットの都合等でフライトが中止になる可能性もありました。今日は実際に遊覧飛行出来ることになり思わず笑顔で応えます。パイロットとして小型飛行機を操縦するのは目の前にいる宿のオーナーさんです。
朝食を終えてから一旦住宿に戻り、出発の準備を済ませておいたスクーターに乗ってクルマの後を追っていきます。
個人所有の飛行機と滑走路がある民宿
20分ほど走ったところで『藍蜻蜓』の看板を発見。
昨日の夜に勘違いしてスクーターで来た場所でした。
昨夜は閉鎖されていた門扉が開いていてその奥へ進みます。
大きな一軒家のように見える建物が民宿です。
スクーターを停めた場所の前には一面緑の草地が広がっています。
この草地が広大な滑走路です。
滑走路は舗装されておらず、移動用のカートで滑走路を走ると水しぶきが上がり湿地になっていることが判ります。
巨大な格納庫には小型飛行機やウルトラライトプレーンが何台も格納されています。
そしてこれが今から同乗させていただける機体です。
オーナーさんが入念な機体チェックをしています。
花蓮の台地と山岳を空からたっぷりと堪能しました。
(空撮動作の一部はYouTubeで公開中)
滑走路・格納庫・航空機はほぼ全てがオーナーさんの趣味で揃えた個人所有物で、不特定多数のお客様を積極的に募って有料での遊覧飛行は受け付けていないそうです。
詳細は書けませんが今回は私が特別扱いを受けて搭乗させていただきました。普通では体験出来ない素晴らしいフライト体験をさせてもらい感謝です。
オーナーさんにお礼を伝えここでお別れしました。
民宿の管理人さんからミネラルウォーターを頂いて藍蜻蜓を出発します。
花東縦谷公路を南下
延々と続く花東縦谷公路の機車専用(スクーター専用車線)をスクーターで直進。
台湾のスクーター旅行はいつもストレスが少なくて助かります。都市部以外は特に楽々です。
この辺りで今回のツーリングで初のガソリン給油をします。
台湾で販売されるガソリンは92・95・98の3種類があり、このスクーターは95指定です。満タン希望なら「九五、加満!」(Jiǔwǔ, jiā mǎn!)と伝えればいいだけでとても簡単です。このやりとりは前回の台湾ツーリングで覚えました。
シート下に給油口があり、
”荷箱+キャリアを取り外す→シートを開けて給油→荷箱+キャリアを再び取り付ける”
今回のツーリングではこの面倒な作業を給油の度にしなくてはなりません。
台湾は親切にもスピード取締カメラがあることを標識で知らせてくれます。
スピード超過の場合はナンバーを後方から撮影して後日スクーター所有者に違反通知が郵送されます。楊さんに迷惑をかけられませんので気を抜かず安全運転に徹します。
光復
2年ぶりの再会
スクーターで1時間弱、2年前のツーリングで泊まった盛夏的軌跡に到着。
※この民宿に初めて泊まったときの様子は以下の記事でご確認ください。
動態保存されている本物の機関車が敷地内の線路を走る民宿で、今回は宿泊せず挨拶で伺うのみ。
スクーターで民宿の中に入り食堂の前で停車すると民宿を経営するご家族に出迎えられます。
ヘルメットを脱いで日本語で挨拶すると即「YouTubeで動画を作った日本人でしょ!」。私のことをまだ覚えていだたいてました。娘さんが電話でご主人を呼び出しています。
ここで日本で予め製作しておいた未公開映像を加えた特別編集版DVDをプレゼント。
そしてご主人と2年ぶりの再会です。
お茶を頂きつつ雑談。前回の台湾ツーリング動画の反響は大きかったようで、「今までほとんど来なかった日本人旅行者が急に増えた」そうです。
食堂で昼食
昼食に誘われ、もちろん断るわけも無くご主人が運転するトラックに乗り民宿を出発。
途中でご主人のお友達と合流し花蓮駅付近の食堂でお食事です。
昼食はご主人のおごりでした。ごちそうさまでした。
機関車に同乗
民宿に戻り「機関車の写真を撮ってから帰ります」と伝えると、ご主人が一緒に線路上を歩き始めて日本語で「機関車 動かす」と宣言。宿泊客限定の機関車同乗サービスを、挨拶しに伺っただけの私のために特別にしていただけることになりました。
そのときの機関車同乗の様子を動画で。
帰り際に一緒に写真を撮ってお別れ。
本当にありがとうございました。
台湾ツーリングなのにバイクのみならず飛行機や機関車にも乗れてしまいました。
南部橫貫公路
花東縦谷公路を南下すると左側に北回歸線標誌公園が見えてきます。
名前の通り北回帰線が通過する場所にある公園で、標誌は工事中でした。
回帰線を越えれば気候区分としては亜熱帯から熱帯に突入、となりましたが全然暑くありません。青空の下で直射日光に照らされてるのに汗も出ないどころかやや涼しいくらいでツーリングにはちょうどいい気温です。
さらに南下して初來橋を越えると南部橫貫公路に合流します。
南部橫貫公路は台南(西海岸)と台東(東海岸)を横断する幹線道路で、沿道には大自然が広がり原住民の集落も点在し温泉や民宿も揃っていて魅力的なツーリングルートです。
抗日運動の舞台
しかし、その歴史は日本統治時代に切り開かれた未舗装の山道である關山越嶺道とほぼ同じ経路で整備された経緯があり、沿道には抗日運動の記念碑も残っています。
初來抗日英雄紀念碑
1923年、日本の統治に抵抗する原住民が派出所に放火し日本人警官1人を殺害して逃走した初來事件が発生しました。逃げた原住民を日本人警官と軍人が捜索するも見つけられず日本人警官の慰霊碑が建てられましたが、日本の敗戦後にその慰霊碑は破壊された代わりにこの抗日英雄の紀念碑が建てられました。
紀念碑の周囲は綺麗に整備された小さな広場で、碑の前には美しい花が咲いていました。
逢板事件紀念碑
1934年、日本の統治に抵抗する原住民が派出所に放火し日本人警官2人とその家族5人を殺害した逢板事件が発生しました。犯人は後に逮捕・処刑され、しばらくしてこの紀念碑が建てられました。
やや放置気味で石碑横の文字板が読みづらくなっています。
拉瑪達星星紀念公園
数多くの抗日運動を実行し抗日英雄として知られる拉瑪達星星の石像がある公園が初來橋のすぐ近くにあるはずでしたが、残念ながらちょうど整備中で石像や記念碑は一時的に移動され更地になっていました。
観光案内図にその石像の写真が掲載されています。
霧鹿
初來から山岳地帯に向かって行きます。
標高713mの標識付近にある原住民(ブヌン族)の集落・霧鹿に到着。
この石像の近くにある集落への細い道路を進んでいきます。
集落の中央を貫く霧鹿村聯絡道路の両側に民家があり、その裏に農地が広がっています。
道路の突き当りには霧鹿國民小學(小学校)があります。
霧鹿砲台
小学校のすぐ裏には霧鹿砲台公園があり、目立たない場所に霧鹿砲台が鎮座しています。
砲台という名の通り、以前はこの台座の上に大砲が載せられていました。今でも古い観光案内サイト等には大砲が載せられていた頃の砲台の画像が掲載されたままになっています。
あまり整備されてないらしく枯れ木が倒れ雑草が生えていました。
その大砲本体は別の場所に移設されていて、この公園の裏側に続く歩道を進むか、四輪車やスクーターが走れる道路で途中まで進み下車してから短い階段を上がっていくかの二択となります。
スクーターで一旦公園を出てから奥へ続く道を進むと階段があり、ここをを上りきると展望台が見えてきます。
その向こう側に2門の大砲が山側に向けて置かれています。
砲身にはロシア語と数字が刻まれてます。
「С. ПЕТЕРБУР(サンクトペテルブルク)」の文字だけは判別出来ました。
この大砲は1903年ロシア製です。日露戦争で勝利した日本軍がロシアから接収した後にここ台湾まで運び、1927年に霧鹿砲台に設置され抗日運動が盛んだった原住民に対する威嚇に利用されました。ただし、設置した当時は既に実用に耐えられないほど劣化していたことと、実際に砲弾が撃たれた記録も残っていないそうです。
展望台からはのどかな霧鹿の集落が一望出来て、小学校の子供たちの笑い声も聞こえています。
利稻
霧鹿を出発して更に山側へ進んでいきます。
道路標識には「道路凍結注意」と中国語で警告されています。
標高1000m付近にある原住民の集落・利稻の入口のすぐ先には「交通管制」の標識が立っています。
南部橫貫公路は一度は完全横断してみたいと思いつつも、2009年は八八水災の直後で通行止、2011年は台南側から進むと梅山から先が通行止、今回2013年も復旧工事が未だ終わっていなくて通行止。
この先には進めず今夜は利稻の集落で一泊します。
陽が落ち始めて予定よりも遅い到着になってしまいました。
集落に入ってすぐ道端に民宿の地図を発見。
小さな集落でも民宿は充実しています。
地図を見なくても「民宿」と大きく書かれた看板が出ていて探すのは簡単です。
今夜の宿を確保しましょうか、と立て続けに5件の民宿に入って今夜泊まれるか聞いてみたものの空室無し、または言葉が通じず泊まれません。6件目の民宿でも断られたものの「あそこなら泊まれるかもしれない」と別の民宿を紹介されます。
紹介された喜樂民宿に到着。
他の民宿よりも大きくて団体客用の部屋もあります。
民宿の扉をノックしたら全然違う建物から宿の主人が出てきます。宿泊したいと告げるとすぐに部屋に通され、食事無しの素泊まり一泊1000元で話がまとまりました。
今夜泊まる2人用の部屋。
大きめのベッド、テーブル、古いTVがあり、エアコン無しでも標高1000m超の高地のためむしろ寒いくらいでそもそも冷房は不要です。シャワーからは出ないと思っていたお湯が普通に出ました。
これから夕食のために外出します。
原住民語の村内放送が流れる村内を徘徊してみると食堂は少ないうえに全て閉店しています。小さな売店に観光客らしき人が入っていくのを見つけて入店すると、コンビニで売ってるような食べ物・飲み物がありました。
店内で売られていた串モノを数本買って店内のテーブルで頂きます。
夕食からの帰り道、民家からは大音量のカラオケ、小学校からは子供たちらしき歌声が聞こえてきて、人里離れた山岳地帯の集落とは思えないほど賑やかです。
民宿に戻ってから撮影機材一式を持ち出し、村の外れの真っ暗な道を進んで展望台へ向かいます。
本当に真っ暗闇で路面がほとんど見えず超徐行運転で進みます。
実際に肉眼で観る集落はこれくらい真っ暗です。
同じ展望台から高感度で撮影。
旅行ガイドに掲載されているこの集落の画像と全く同じアングルです。
あいにく雲と霧が立ち込めていて星空の撮影は出来ませんでした。
民宿に戻ったのは21:00過ぎ。この時間になると風と虫の音しか聞こえないほどの静粛な空間となります。
もっと早い時間にここに来て売店や食堂に行ったり昼間の景色を見てみたかったなあ、と思いつつ明日の準備をして就寝します。
明日は台湾最南端のリゾート地へ向かいます。
ツーリング動画
台湾ツーリング 2013 臺灣機車旅遊 – [part2] –
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