[bike]台湾ツーリング2013 臺灣機車旅遊 – part6 高雄→小林村→台南

台湾ツーリング2013
この記事(part6)の旅程
  • 5月2日
    高雄

    早朝にゲストハウスを出発
    日本統治時代の鉄橋&その設計技師の記念碑
    高雄名産のライチを試食

  • 9:30頃
    小林村

    八八水災最大の被災地を訪問
    甲仙の食堂で昼食

  • 15:30頃
    台南

    ゲストハウスにチェックイン
    鎮安堂飛虎将軍廟を訪問
    夕食をテイクアウト
    同室の日本人と自分の動画を鑑賞

高雄

5月2日 – 台湾ツーリング5日目

ゲストハウスに一人だけで宿泊という珍しい夜を過ごして朝5:00前に起床。外に出て準備をしているときに宿のオーナー仁さんが2階から下りてきます。「これからジョギングに行く」そうで、ご挨拶をして宿からスクーターを出します。

お世話になりました。

まだ薄暗い空の下、高雄から南部横貫公路方面へ向かいます。

日本統治時代に建設された鉄橋

21号線(竹寮路)を北上すると竹寮里という標識が見えてきます。

ここにある舊鐵橋溼地公園からは下淡水溪鐵橋が見渡せます。

下淡水溪鐵橋は日本統治時代の1913年に完成し当時はアジア最長の鉄橋でした。軍事物資やサトウキビ等の運搬や通勤通学の足として、老朽化に伴い新たな鉄橋が建設された1992年まで利用されていました。2005年の台風被害で橋の一部が流された後は取り壊される予定でしたが、歴史的価値が再評価され現在は国家二級古蹟に登録され現在まで保存されています。

橋の中央部が丸ごと流されたままになっています。

日本人技師の記念碑

下淡水溪鐵橋は日本人技師の飯田豊二が設計・建設指揮を担当しました。
この鉄橋の西側にある九曲堂駅近くの公園には彼の功績を称えた記念碑が建っています。

記念碑の解説には日本語で
「台湾総督府鉄道部の小山三郎技師とその友人たちは、飯田氏の業績を讃える為、
九曲堂駅北側の下淡水溪鉄橋を見下ろせる場所を選んで、記念碑を建てました。」
と書かれています。

高雄名産のライチを試食

九曲堂駅を後にして21号線を更にに北上すると道路脇には荔枝(ライチ)畑が広がっています。

高雄はライチの名産地として知られ、高雄産の高級ライチは何年も前から日本へ積極的に売り込まれていて、東日本大震災の際には高雄から日本の被災地へライチが贈られています。

果実はまだまだ未熟で収穫の時期はまだ先。
今回の旅で高雄のライチは食べられそうに無いな…と思ったら売ってる人がいました。

1kg単位で販売されているものを交渉して数個だけ売っていただきました。

皮にはまだ青い部分が残る早摘みのライチ。
その場で皮を剥いて食べてみます。

私が日本で食べたことのあるライチは缶詰や加熱処理されたものばかりだから、生のライチを食べたのはこれが初めてかもしれません。

極小ロットで特別に分けていただいたおばちゃんにお礼を伝えてから出発。

甲仙を通過

途中から雨が降り出し気温も下がる中、2時間かかって甲仙を通過。

甲仙はタロイモの名産地ということで2年前は名物のタロイモアイスを食べてから南部横貫公路(20号線)で桃源方面に向かいました。

今回は民家がほとんど無い21号線を北に向かいます。

小林村

甲仙から約10km走ると高雄縣甲仙鄉小林國民小學(小学校)が見えてきます。

今日の目的地・小林村に到着。

八八水災最大の被災地

ここは観光地でも景勝地でも無く、2009年8月に発生した八八水災(台風災害)により甚大な被害に遭った被災地です。4年前は八八水災から一ヵ月後のツーリングで各地の被災地を通過し、2年前は土石流で被災した地域をスクーターで通過しました。今年は被災地の小林村がどれくらい復興したのか気になってここに来てみました。

※「小林村」は災害後に行政区分に関する法律が変わり現在の正式名称は「小林里」です。

小林平埔族群文物館

小学校の隣にある小林平埔族群文物館
この周辺で暮らしている原住民(平埔族)に関する民俗博物館です。
見学を楽しみにしていましたがたまたま定休日だったため中に入れません。

博物館のガラス越しに見えた展示物。

小林村の一帯は日本統治時代に原住民が生活を始めた地であり、日本統治時代には他の原住民居住地と同様に抗日事件(小林事件)も発生していました。

被災者居住区

博物館の裏には災害後に建てられた新築の住宅が並んでいます。
災害後の小林村は3つの居住地区に分けられ、ここは五里埔小林社區(小林一村)と呼ばれる地区。

災害前までは多くの原住民が主に狩猟と農業で生活してきたのに、災害でそれが維持継続が困難となり原住民伝統の文化や生活様式が途絶えるのではないかと危惧されているそうです。この辺りは日本における被災地復興でもよく聞かれる課題です。

追悼施設

五里埔から北東に進むと小林村紀念公園があります。
八八水災で亡くなった小林村住民を弔う記念園として整備され、苦路と名付けられた通路には被災して亡くなられた462名のお名前が刻まれています。

被災する前の小林村の写真も飾られています。
日本統治時代の古い写真もあります。

眺望樓台(展望台)からは小林村の跡地が見渡せます。
山肌ごと崩壊して集落が丸ごと流されてしまったため跡地には本当に何もありません。

被災跡地

紀念公園の先の道路(21号線)はまだ復旧作業中で、一部の大型車両を除けば一般車も走行出来る程度に整備されていました。

小林村周辺の道路(21号線)をスクーターで走ったときの様子を動画で。
(五里埔→小林村紀念公園前→復旧作業地区)

帰り際に再び紀念公園に寄り合掌してから甲仙に戻ります。

甲仙で昼食

甲仙でガソリン給油してから仙香飯店という食堂で昼食。
特に期待せず飛び込んだ食堂でしたが予想外においしくて満足です。

台南

雨の勢いは衰えないまま甲仙を後にして台南を目指します。

15:00頃、周りの建物よりも突出している香格里拉台南遠東國際大飯店の高層ビルが見えてくると台南駅も近いことが判ります。台南駅の東側一帯は成功大學の敷地が広がっていて、今夜はこの大学のすぐ近くにある宿を予約済です。

ゲストハウスにチェックイン

狭い路地の奥にあるゲストハウス・CityHut1828(城市小屋1828)に到着。

小林村の工事現場を走ったときに被った泥で服と荷物が汚れまくっています。
ゲストハウスに入る前に雑巾で泥を拭きます。

古くて質素な外観からは想像出来ないほど室内は明るく清潔です。

宿の説明を聞いてから宿泊料金+デポジットを支払いルームキーを渡されます。
ベッド3台があるドミトリーに入ると既に私以外のお2人の荷物が置いてあります。

このベッドが私の寝床。
かなり狭くて荷物を置く余裕がほとんどありません。

今朝は4:30に起きてから休憩せず動きっぱなしで居眠り運転しそうなくらい眠くなっています。
ベッドで横になり1時間ほど仮眠してからスクーターで外出します。

3回目の鎮安堂飛虎将軍廟

台南郊外に向かい、毎回欠かさず参詣している鎮安堂飛虎将軍廟に到着。
台湾ツーリング3回目にして参詣も3回目です。

日本軍の零戦パイロット・杉浦茂峰少尉が祀られている廟です。
※詳細は私がまとめたこの廟の紹介記事をご一読ください。

日の丸が掲げられ日本人の英霊が祀られるこの場で先ずはお祈り。
寄付を済ませてから廟で当番されている方にご挨拶します。

いつもは早朝に行っている儀式を特別に再現して見せていただけました。

前回(2年前)と変わったこととえいば、この廟の歴史を解説する漫画の小冊子が置かれていました。
この廟の近くにある安慶國民小學(小学校)の先生が描いたそうで、日本語版と中国語版があります。

さて、ここに来た目的は参詣だけではなく、2009年に初めてここでお会いした日本語世代のご老人が今どうされているのか調べるためでもあります。

零戦に乗った杉浦少尉がグラマンに撃墜される瞬間を地上から見ていた生き証人であり、台湾の歴史など何も知らなかった私が台湾の歴史に興味を持つきっかけになった方でもあり、あの出会いが無ければ前回と今回の台湾ツーリングも無かったでしょう。

日本統治時代に日本語教育を受け流暢な日本語でお話を伺いました。
(4年前/2009年に撮影)

そのときに聞いたお話の一部は4年前に作った動画で紹介済みです。
台湾ツーリング2009(4日目)臺灣機車旅遊2009
※ この動画の5:05~から空中戦の目撃談

この動画を観ていただいてもこちらのご老人と面識は無いとのこと。
非常に残念ながら再会も出来なければ今はどうされているのかも分かりませんでした。

本日お世話になった主任委員の呉進池さん。
ありがとうございました。

ゲストハウスに夕食を外帯

ゲストハウスに戻りバイクウエアを脱ぎシャワーを浴びてから着替えます。
これから夕食をどうましょうか?まだ雨が降っていて今からスクーターで出かけるのも面倒。同室の旅行者を誘ってご一緒に、と考えていましたが部屋には私一人。

ここから歩いていける範囲で夕食を済ませることにします。

ゲストハウス周辺は学生街だけあって大学生向けのレストランやファーストフード店が多く、出入りするお客さんも若ければ店員さんも明らかに若い世代ばかりです。

徒歩3分の場所に見つけたピザ屋・DoubleCheeseで一番小さいピザを外帯。
その2軒隣にあるカキ氷屋・阿強氷店でマンゴーカキ氷を外帯。

ツーリング直前に覚えたばかりの中国語「外帯」=持ち帰り・テイクアウト。お店の人にちゃんと通じました。

帰り道にイタリア料理店の店頭で黒板メニューの中国語をゆっくり読んでいると店員さんに声をかけられます。流暢な英語で「夕食はいかがですか?」と聞かれるも、ちょうど今夜の夕食を買って帰る最中。ちょっとだけ後悔しつつゲストハウスに戻ります。

1階のキッチンテーブルでピザとカキ氷を広げて明日の走行ルートをチェックする。
食後は今日の雨で汚れてしまった撮影機材のお手入れをします。

受付でスタッフさんに明日の出発が早いことを伝え、明日戻してもらうはずのデポジット現金を今のうちに受け取っておきます。

部屋に戻り明日の準備をしているとカギを開けて入ってきたのは日本人でした。
このゲストハウスで働きながら成功大學に通学しているそうです。私の動画もちょっとだけ観ていただいたことがあるそうで、成功大學を写したシーンのある動画を一緒に観ます。

雑談しつつ旅の情報交換、というか一方的に情報を教えていただきます。ゲストハウスに泊まるとこういう会話が出来るから面白い。もう寝る頃に部屋に帰ってきた中国人とはほとんどお話出来ませんでした。

明日は日月潭へ向かいます。

ツーリング動画

台湾ツーリング 2013 臺灣機車旅遊 – [part5] –

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