- 9月21日
7:30頃高雄出発スクーターのまま乗れる渡し船で旗津へ
海底トンネルで高雄市本土へ戻る
橋の通行止で迂回に手間取る - 11:00頃屏東縣
軍事利用可能な公道を通過
南シナ海沿いの道路を南下 - 13:00頃南迴公路
原住民部落が点在
- 14:30頃太平洋(東海岸)
台風で被災した知本温泉
- 17:00頃台東
娜路彎大酒店に部屋を取る
正気路水果街で釈迦を買う
ホテルの劇場で原住民ショー
高雄出発
9月21日 – 台湾ツーリング5日目
6:30に起きてホテルの朝食ビュッフェ。
ゆっくり食事をしながら今日の予定を立てます。
今日の予定ルートを考える
台北を出発してからずっと西海岸側を南下してきました。予定では2日後、遅くとも3日後の朝には台北に戻っていないと帰国便に間に合わなくなるので、今日中に東海岸へ抜ける予定を立てます。
現在地の高雄から東海岸へ抜けるルートは主に3通りあります。
- 南部橫貫公路
(台20線) - 南迴公路
(台9線) - 墾丁國家公園
(最南端ルート)
この日(2009/09/21)の時点で南部橫貫公路は台風被害で途中数十kmが完全通行止のため却下。
台湾最南端の大自然を満喫出来る墾丁國家公園を通過する最南端ルートが当然第一候補ですが、ここまで南下すると最終日まで台北に帰れなくなるか走行ペースをかなり早めることになります。
結局、安全と時間的余裕を優先して南迴公路を経由して東海岸に抜けて台東または周辺の温泉街に泊まることを目標に決めました。
ホテル前で荷物を積み込み7:30過ぎにホテルを出発しました。
渡し船に乗って高雄港を横断
高雄を離れる前にどうしても乗りたい船がありその乗船場へ向かいます。
8:00頃には高雄港の北端にある鼓山輪渡站(鼓山フェリーポート)に到着。
高雄港は台湾最大の貨物取扱量を誇る港湾で、高雄市本土とそれに並行するように細長い島状の旗津区に囲まれています。
旗津区は元々は台湾本土と陸続きの半島でしたが、高雄港の航路開発のため本土から切り離されて完全な島となりました。
その島には海上航路か海底地下トンネルで渡るルートがあり、旗津輪渡はフェリーと呼べるほどではない小型の渡し船で、ここ鼓山輪渡站から高雄港を横切り対岸の旗津区との間を往復しています。
この渡し船の最大の特徴は乗船から下船までスクーターに跨ったまま移動が出来ることで、高雄に来たら絶対に乗りたいと思っていました。
スクーターに跨ったまま乗船して数分の高雄港クルーズを楽しみます。
この渡し船の詳細は以下の別記事でまとめました。
旗津輪渡站(旗津フェリーポート)で下船し旗津区に上陸しました。
旗津区をほぼ南端まで縦断
旗津の北部は景色も良く海鮮料理店や海鮮市場が集まる観光地です。
旗津輪渡站の前には人力車が観光客を待っていました。
その旗津風景区にある旗津海水浴場は台風被害の直後で倒木と流木だらけでした。
朝早い時間で海鮮料理店はほとんど閉まっていましたが、海鮮通りは人とスクーターで大混雑していて名物のからすみ等が安く売られていました。
そこから南へ向かい旗津二路の住宅街を抜けコンテナ埠頭横の旗津一路へ。
人や車が行き来するのはほとんど島の北側ばかりで、南の旗津一路まで来ると店も住宅もほとんど無い閑散とした直線道が伸びています。
旗津区のほぼ南端まで辿り着き過港隧道を通過します。旗津区と高雄市本土を結ぶ唯一の乗用車道路かつ台湾で唯一の海底トンネルです。四輪車用の本線とスクーター専用車線は完全に分けられていて安全に通過出来ました。
海底トンネルで高雄市本土に戻る
島から本土に戻り国道を南下していきます。
機車優先ながら駐車場から四輪車が頻繁に出入りしていて慎重に走っていきます。
まだ9:30過ぎでも気温は既に30度に達しています。
街路樹で隔離され四輪専用道とも分離された機慢車専用道。
安全過ぎて退屈な移動になってしまい、もっと景色に変化が欲しい…と贅沢なことを思いつきます。
通行止の橋の迂回に手間取る
カーナビの通りに直進し続けるといきなり通行止にぶち当たりました。
高雄縣と屏東縣の境を流れる高屏溪にかかる雙園大橋。完全に通行止。
この橋は台風被害で橋梁が丸ごと流されていました。
(当時の報道映像)
引用元 : 高屏溪溪水暴漲 雙園大橋斷裂
やむを得ず橋の側道から先へ進み、カーナビの地図を見つつ海側に迂回して川を渡るルートを探しに行きます。
工場地帯から古い住宅街へと進んでいきますが…
行き止まり。
カーナビと地図を見て橋に見えた図形はただの堤防でした。
今度は海側から内陸へ向かい迂回ルートを探します。
所々で台風被害で崩れた堤防に土嚢が積まれていました。
萬大大橋に到着。
ようやく川を渡れます。迂回に1時間かかってしまいました。
屏東縣
川を渡り切ると屏東縣です。
ここからは幹線道路から逸れて海沿いの道への抜け道を走ります。
檳榔の栽培地や小さな廟があり、幹線道路よりこんな横道を走るほうが楽しい。
水田のあぜ道や堤防沿いの小道をクネクネと抜け、片道1車線の道路に出る。
途中見つけた菱角の文字と謎の黒いイラスト。
この看板がある直売所が2kmくらいずっと菱角菱角菱角菱角菱角、と怖いくらいに路肩に並んでいました。
これ何?とガイドブックに載っている台湾料理の解説で調べたら、菱角とは水生植物の一種で根の部分が看板のイラストのような形をしていて茹でると栗のような味がするとのこと。食べてみたいのは山々だったが一袋も買うのは多過ぎるので、どこかの屋台で食べられることを期待しつつ素通りしました。
軍事利用可能な公道を通過
その先の屏鵝公路を南へ走行中にこんな道路がありました。
実走で約2500mもの完璧なストレート。
この区間だけ標識も電柱も看板も無く空が見渡せます。
無駄に広い中央分離帯と路肩。
中央分離帯には移動可能なブロックが設置され、信号も土台が移動可能な仕様になっています。
どこかで見たような光景と思ったら韓国ツーリングの途中に水原市郊外で見た道路にそっくりでした。ふだんは一般道として利用され、有事の際に軍用機の滑走路として転用される軍民兼用道路と思われます。
南国フルーツで水分補給
道路を南下していくと右側からかすかに波の音が聞こえ木々の隙間から青い海が見えてきました。
天気は快晴、時間は正午過ぎ。とにかく暑くてたまりません。
7-11便利商店前で停車して水分補給です。
よく冷えたジュースはもちろん買わず、屋台で椰子水を買いました。
椰子の実をナタで割っただけの椰子水はぬるくて苦い味がしました。
南国の屋台で椰子を目の前で割ってそのまま飲める過程がたまらなく良い感じです。
これがたったの30元(80円)。感動して写真撮り忘れました。
さらに隣の店でマンゴーも買います。これも美味い。
天然の水分をたっぷり摂り出発。
右に南シナ海を臨みつつ屏鵝公路を南下。
台東と墾丁の分かれ道
12:30過ぎ、3つに分岐する立体交差前で一旦停車します。
今日の目的地としている台東の文字を発見。
台湾環島機士に道を教えてもらう
南迴公路の分岐はここだっけ?と地図を広げていたら背後から走ってきたスクーターが停車しました。地図を見ている私を見て停まってくれたようです。
ここはありがたく道を教えていただきました。
「 Now I’m going to Kenting. 」(これから墾丁へ行くところだ)。
彼もスクーターで台湾一周中の台湾環島機士でした。私も時間があれば墾丁まで行きたかったんですけどね。
彼のおかげで台東までのおおよそのルートが頭に入りました。謝謝。
青く美しい南シナ海とはお別れです。このまま南迴公路を東へ進んできます。
南迴公路
台東まで81km。
ここからほぼ山岳地帯でガソリンスタンドがあるのか心配になってきました。
南迴公路は西海岸から行くと途中までは広くて直線の多い2車線、その後は1車線の山道になっていきます。
日本の道路に例えると”2車線になった箱根新道+標高差の大きい金精峠”のようなイメージで、山道にありがちな凸凹もほどんど無く大型バイクで駆け抜けたくなるようなツーリングルートでした。もちろんスクーターで走ってもこの壮大な景色をゆっくりと堪能出来ます。
あちこちにある原住民部落
自然だらけの道が終わる頃、脇道にはこんな画や像が目に入ってきます。
この辺りには台湾原住民の部落が点在しています。
台湾には人口の98%を占める漢民族の他に2%の原住民が暮らしています。約16の原住民族が台湾政府に公認され、その居住地である部落は台湾各地に点在しています。
「部落」という言葉は日本では意図的に使用が避けられる単語ですが、台湾では単純に集落や村落のことを指します。
ちなみに台湾では「先住民」という表現は”既に滅んだ民族”という意味に捉えられることから「原住民」と表記することが一般的です。
東海岸からノンストップで約1時間、道路の果てに青い海が見えてきました。
太平洋側の東海岸に到達
南迴公路のすぐ横に太平洋が高波を立てています。
西海岸は農地・工場・港と平地が多かったのに対し、ここ東海岸は海岸のすぐ近くに絶壁や山岳があり、山と海のコントラストが壮大な景色となって進行方向に広がっています。
南迴公路は予想よりも短く、ガソリンスタンドを見つけても給油せず素通りしました。
この辺りにも原住民部落があり、日本統治時代にその地名がつけられたとされる解説も発見。
交通量も少なく、波の音が響く休憩所で一休みします。
素晴らしい絶景で感動しきりですが、笑っていられない現実にも出くわします。
台風被害で道路が崩れていて所々で復旧工事が行われていました。
台風で被災した知本温泉
今回の台湾ツーリングでは現地の温泉に浸かる予定を組んでいました。台湾には温泉が各地にあり、ここ南迴公路沿いにも有名な温泉があります。どこの温泉も水着着用必須で日本から水着は持ってきていました。
この周辺の温泉案内の看板。
地図を見て、台東のすぐ近くにあり知名度も高い知本温泉へ行くことに決めます。ここもやはり台風被害に遭ったはずで、今はどうなっているのかも気になっていました。
途中、橋から荒れた河川敷が見えてきます。
明らかに農地と集落だったであろう区域が砂で埋め尽くされていて、その上流側では重機が河川敷で作業をしていました。
走り続けて15:30頃、知本温泉の文字を見つけました。
標識に従い道を進むと遠くにホテル街が見えてきました。
が、いきなり温泉街の入口付近が砂だらけです。
ここは台湾で報道されていた知本金帥飯店の跡地でした。
約1か月前、知本金帥飯店はこんなことになっていました。
引用元 : 知本金帥飯店 難書C惡水沖刷
砂だらけの道の奥にある食堂や商店はほぼ全て休業中、温泉施設を覗いたら温泉にお湯が入っていないし、観光客の姿は全く見かけませんでした。
源泉だけは圧力でフタが浮き上がるほど沸騰していました。
残念ですがこのまま知本を後にしました。
台東
ナビの案内を使わないまま台東市内に着き、ガス欠寸前でやっと給油を済ませます。
ちょうど学校の下校時間と重なり、学生さんが旗を持って交通整理をしています。
ただでさえ混雑している道路に自転車通学の学生さんが流入してちょっとしたカオス状態。
騒がしい市街を離れ、郊外の泊まってみたいホテルへ向かう。
娜路彎大酒店にチェックイン
台東市の有名な大型ホテル・娜路彎大酒店に到着です。
予約無しの飛び込みで空室確認したところ、日本語の話せるスタッフさんに応対していただき運よく部屋が空いていてそのままチェックインしました。
ホテル前に置きっぱなしのスクーターは24時間監視カメラ稼動で安心の地下駐車場に移動します。
このホテルは随所に原住民族文化を取り入れたインテリアが使われています。
部屋も原住民族のデザインを取り入れた内装でした。
とりあえず荷物だけを置いてスクーターで市街へ戻ります。
フルーツ街で釈迦を買う
台東市中心部にある正気路水果街に到着。
台東の名産品で今が旬の釈迦を1個買って持ち帰ります。
釈迦の食べ方をお店の人に聞くと「1日置いて柔らかくなったら素手で割れる」。
明日の朝食前に釈迦を割ってみよう。
水果街とは別の場所でフルーツジュースを買ってその場で飲んでからホテルへ戻りました。
ホテルで夕食と温泉
今日は昼食を忘れていてかなりの空腹です。
ホテル内の歐風西餐廳でディナーは自助餐(ビュッフェ)でした。
ピアノの生演奏付きであちこちで日本人団体観光客の声が聞こえてきます。
満腹になったら三温暖(サウナ)へ直行。
温泉マークが日本と同じでした。
知本温泉で温泉に入れなかった分、ここでゆっくりしていきます。
サウナから戻る通路では原住民グッズの販売店がありました。
ホテルの劇場で原住民ショー
部屋へ戻る途中、ホテルの外から大音量で何かの音楽が聞こえてきます。
覗いてみると、ホテル前の娜路彎劇場で原住民の舞踏ショーが始まっていました。
チェックインのときに「原住民の舞台がありますから!無料ですから!是非来て下さい!」とすごい勢いで推されたのはこれですか。まさか見に来る人がすっごく少ないんじゃ?…という下衆な勘繰りを覆すかのように満席で私は立ち見となりました。劇場はオープンエアになっていて宿泊客でなくても歩道から無料で見ることが出来ます。
しかもみんな若い。中学生くらいでしょうか。
舞踏の合間も司会の女性が台湾南部独特の台語(閩南語)で盛り上げています。
最後はみなさんご一緒に輪になって。
閉演後に出演していた女の子と一緒に写真を撮らせてもらい、某SNSで日本のお友達に公開したら「見たことない笑顔」と言われました。ここには載せないけど。
部屋に戻り、衣類を手洗いしてから浴室に干して明日に備えます。
そしてTVで天気予報をチェック。
TVでは討論番組を放送していました。
今日9月21日は台湾人にとって特別な日。
地勢的に台風や地震のリスクを抱えなくてはならない島国、という点では台湾も日本も同じ。観光客には意図的に隠している苦労や苦悩もあるでしょう。今日は特に台風被害の爪跡を避けて通ってきましたが、そんな現実を避けて通れない台湾の皆さんには順調な復興を願うしかありません。
明日は南部橫貫公路を行けるとことまで行き、その後は花蓮で泊まる予定。
ツーリング動画
[5/8] 台湾ツーリング2009(5日目) 臺灣機車旅遊2009
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