[bike]台湾ツーリング2009 臺灣機車旅遊 – part4 台北→桃園→新竹→台中

台湾ツーリング2009
この記事(part4)の旅程
  • 9月19日
    7:30頃
    台北出発

    スクーター専用道路を快適走行

  • 10:30頃
    桃園

    スクーター専用車線を快適走行
    檳榔西施を見つける

  • 13:00頃
    新竹

  • 15:00頃
    苗栗

    老舗料理店で夕食

  • 17:00頃
    台中

    台中車站(台中駅)に到着
    安宿街のホテルに部屋を取る
    香蕉新樂園で夕食&骨董品鑑賞
    精明一街のカフェで珍珠奶茶をオーダー

台北出発

9月19日 – 台湾ツーリング3日目

今日もレストラン始業とほぼ同時の6:00に朝食。
7:30にはホテルをチェックアウトしました。

朝から雨降り。駐輪場へ向かうとスクーターが濡れていました。

今日から全ての荷物をスクーターに載せて台湾を移動することになります。

昨日の経験からバックパックの中身をほぼ全て荷箱に移し、バックパックは背負わずに荷箱の上にネットで固定。防水バッグはステップに置きワイヤーロックで車体に結びつけます。
ステップに両足をつくと防水バックが脚で押さえられて安定します。

準備している間に小雨も止み、カーナビで検索して見つけた加油站に向かいガソリン満タンにしてツーリングに出発します。

目的地を台中車站(台中駅)に設定して発進します。

機車専用(スクーター専用道路)

途中、淡水河にかかる忠孝大橋を渡るつもりが間違って川沿いの小道へ進んでしまいました。

そこには機車専用 Motorbike Onlyの標識がある堤外機車専用道がありました。

本当にスクーターしか走っていません。
周囲には四輪車も歩行者もなく接触や飛び出しの心配もありません。バイク乗りとしては本当にうらやましい道路で日本にも整備してほしいくらいです。

台北郊外もスクーター専用車線完備

遠回りしてから陸橋まで戻ります。
左側は禁行機車(スクーター通行禁止車線)、右側は機慢車専用(スクーター・自転車専用車線)。専用車線で安全に川を渡ります。

橋を渡りきると道路幅は狭くなりますが、機車優先(スクーター優先車線)は十分な幅を保ったままでした。

途中の交差点で停車。
バイクを模したアイコンのあるスペースはスクーター専用の停止区画です。日本の道路にある二輪停止線とは比べものにならないほど広く設定されています。

台湾はどこを走ってもこんな道路ばかりでスクーターでの移動が苦になりませんでした。
ただ、路肩の四輪車の見切り発車と側道からのスクーター飛び出しが日本と比べて多く、快適だからと言って漫然と走ってはいられません。

桃園

10:30頃に桃園市に入ります。
台北ほどではありませんがスクーターの数は相変わらず多いままです。

檳榔西施を見つける

桃園市に入った辺りから急に檳榔(ビンロウ)の看板が増えてきます。台湾渡航前に知った檳榔西施を生で見ることが出来ました。

檳榔(ビンロウ)を売る檳榔西施(ビンロウ売り子)については話が長くなるので別記事でまとめました。

市街地を通り過ぎ店舗や住宅も無い国道を進みます。
延々と続く2車線の地方道路にもスクーター専用車線があり、高速移動出来ない125ccでもほとんどストレス無く走っていけます。

道路から見える住宅地、農地、山岳地帯、日本でなら気にも留めないような沿線の光景が新鮮に映ります。

新鮮な景色の中で突然、どこかで見たようなファッションセンターの看板がありました。

途中の信号待ちで見えた海の方向へ向かっていきます。 

新竹

歓迎蒞臨新竹市 Welcome toHsinchu Cityの時計台があるこの場所は新竹市十七公里海岸風景區です。

海岸線に沿って整備された自行車専用道(サイクリングロード)もあり、自行車出租(レンタル自転車)でサイクリングを楽しむ人が次々と通過していきました。

ここから臨む台湾海峡は暗い色をしていました。

台湾海峡を眺めながら海岸沿いの道路を南下します。

快速公路と完全に隔離され交通量の少ないスクーター優先道路は安全で快適です。
ただ、これだけ長距離だとさすがに飽きてきました。

苗栗

苗栗に向かう右折路から内陸の道路へ向かいます。

この先の信号待ちで四輪車に乗った家族連れに道を聞かれました。もちろん答えられず、ヘルメットを脱いで「我是日本人」(私は日本人です)と伝え、役に立つかと思いカーナビを中国語設定に戻してから手渡しました。運転席の男性は笑いながら日本語で「ダメダメ、信用デキナイ!」。一家は「アリガトウ!」と笑顔で去っていきました。

老舗料理店で昼食

15:00を過ぎ腹が減ってきたので、三義車站(三義駅)の近くで目に入ったお客さんの出入りが多い飲食店に入ります。

賴新魁麵館という店で、日本帰国後に調べたら地元では老舗の有名店でした。

メニュー表を解読。
…麺
米粉…ビーフン
粄條…平麺
…スープ入り
…スープ無し
…トッピング
…たまご
肉片…スライス肉
これでだいたい合ってる気がします。

メモ用紙に「米粉(湯) 加蛋・肉片(小)」と書いて見せたらこれが出てきました。
意味がだいたい通じていたようです。そして美味い。

お会計のときに店員さんが中国語で話しかけてきて「新橋、東京、静岡、横浜…」と日本の地名が聞き取れました。日本旅行でそこへ行ったことがあるようです。店を出るときは「アリガトウ!サヨナラ!」と声をかけていただけました。

周囲は整備された水田が続く農業地帯です。

途中の加油站でガソリン給油したとき、店員さんは私が日本人と判ると満面の笑みを浮かべ日本語で「ガンバレ!」加油站(ガソリンスタンド)で加油!(がんばれ!)とは粋な一言です。

台中

先を進むにつれて車道のスクーターが徐々に増え都市部に近付いていきます。
途中の道路標識で台中に入ったことが分かり今夜はここで一泊することにしました。

台中は台湾海峡に接する中部の都市です。都市とはいっても台中市は国土の中央部である山岳地帯を含んでいて、鉄道駅を中心とした都市部が最も栄えています。

台中車站(台中駅)に到着

そして今日の目的地、台中車站(台中駅)に到着です。

台中車站は日本統治時代の1905年に初代駅舎が竣工しました。この駅舎は1917年に竣工した二代目です。
(その後の2016年に高架化された近代的な新駅舎が東側に竣工して鉄道駅の機能が移転され、この駅舎は臺中驛鐵道文化園區として保存されています。)

安宿街のホテルに部屋を取る

既に17:00を回っていたので宿探しを始めます。
駅前に安宿街があり、スクーターを駐輪してすぐの場所にある寶島大飯店(Formosa Hotel)に入りました。

大飯店は巨大レストランのことかと勘違いしたが、中国語では単にホテルを意味する単語でした。
空室を確認してから荷物を部屋に持ち込みます。

内装はかなり古くても部屋は広くて安宿特有の閉塞感がありません。
駅前で一泊550元(1500円)ならこれで充分以上です。

シャワーを浴び着替えてから即外出です。

まずは台中で絶対に行きたかった店へ迷わず直行します。
カーナビにはとっくに地点登録済でした。

香蕉新樂園で夕食&骨董品鑑賞

香蕉新樂園に到着。

博物館とレストランを兼ねた店で、1960年代頃の街並を再現した店内で夕食をとり無数の骨董品を眺めて過ごしました。

展示品よりも驚かされたのは店内のお客さん達にまで日本語が通用することでした。
展示品を撮影中に避けてくれた人に「失礼しました」と言うと「どういたしまして」ととっさに返事が返ってくる。隣席の団体さんにいきなり「写真撮ってくださいお願いします」と日本語で声をかけられ、カメラを返すと「ありがとう」と自然に返事が返ってきました。

長居したあとは別の場所へスクーターで移動します。

精明一街のカフェで珍珠奶茶をオーダー

台湾国内でもカフェ文化のレベルが高いと称される精明一街に到着。

21:00近い時間でもお客さんで混雑していました。

日本語メニューが用意されているカフェのテラス席に座ります。

台中は珍珠奶茶(タピオカティー)発祥の地ということで、珍珠奶茶をポットでオーダーしました。

大粒のタピオカをカップに入れ熱々のミルクティーを注ぎテラス席で寛いでいると、生演奏の女性が涙そうそう(日本語)とTrue Love(日本語)に続き、王心凌「月光」(島谷ひとみ「亜麻色の髪の乙女」中国語カバー)を見事に歌い上げていました。日本の歌が違和感なく精明一街の雰囲気に溶け込んでいました。

ここでも長居してからホテルに戻り、余韻に浸るヒマも無く明日の準備を始めます。

台湾では日本語がよく通じる、というか台湾で日本語が浸透していることを実感した一日でした。私の拙い中国語は使うまでもありませんでした。

明日はまず阿里山へ行き、その後は台南か高雄で宿泊予定とします。

ツーリング動画

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