[bike]台湾ツーリング2009 臺灣機車旅遊 – part9(最終回) 台北→日本帰国

台湾ツーリング2009
この記事(part9)の旅程
  • 9月24日
    台北

    ホテルで朝食
    忠烈祠の衛兵交代を見学
    ホテルをチェックアウト

  • 13:00
    桃園国際空港出発

  • 17:10
    成田国際空港到着

  • 20:30
    帰宅


台北

9月24日 – 台湾ツーリング8日目(最終日)

7:30、昨日は夕陽が正面に見えたバルコニーからは朝日が見えない代わりに青空が覗いています。

昨日の豪雨でびしょ濡れだったヘルメット・ブーツ・グローブはほとんど乾いていました。

庭園ビューが魅力の松鶴廳が残念ながら改装中で、朝食は地階の大広間でビュッフェでした。

四人席を独占してゆっくり朝食。
場所は違えど食事は最高に美味いのです。

部屋に戻り早々に帰り支度を済ませます。
お土産も買わず荷物は極力少なくしてきたのでパッキングにはほとんど苦労しませんでした。

 市街へ遊びに行くには時間が足りないがこのままホテルに長居するのはもったいないので、帰国便までの中途半端な空き時間でホテルから近い観光名所を見に行くことにしました。

忠烈祠

圓山大飯店からタクシーで5分、忠烈祠に開門前に着いてしまいました。
まだ中に入れない観光客が集まっています。

忠烈祠には辛亥革命や抗日戦争で命を落とした英霊の他、殉職した台湾人の方々が祀られていて日本における靖国神社のような存在です。中華民国国防部(台湾軍)の管理下にあり衛兵が交代で監視しています。

1時間おきの毎時00分に台湾軍兵士による衛兵交代を見に来ました。

9:00、”交代”では無いけど本日最初の衛兵交代が始まります。

職員さんが観光客を仕切りながら衛兵によるセレモニーが執り行われます。

交代を終え警護に立つ汗だくの衛兵さん。
表情を変えず微動だにせず、次の交代まで直立不動です。観光客も勝手に撮影しています。

衛兵さんが警護する巨大な大殿。
大きさも色彩も荘厳。

観光客に加えて現地の小学生ご一行様が見学に来ていてセレモニー中は大混雑でしたが終わってしまえば急に閑散となります。

セレモニーも建築物も見られたのでタクシーを拾ってホテルへ戻りました。

天気も良くホテルの門前でタクシーを降りて歩いて戻ります。
雨上がりだった昨日よりも建物が色鮮やかに見えます。

いよいよ帰国。
あそこにも行きたかった、ここも見たかった、と後ろ髪引かれながら部屋の忘れ物チェックをして既にまとめてある荷物を運び出してロビーへ。

チェックアウトを済ませタクシーで桃園国際空港へ向かいます。

桃園国際空港

11:00桃園国際空港に到着。
フライトインフォメーションで時刻とゲートを確認。

空港内の銀行で余った台湾元を全て日本円に両替します。

この日のレートで38865NTD→108500JPY。ホテル5泊分+全食事代+全ガソリン代の他にスクーターレンタル料+ナビ購入費+その他雑費を含めて使った現金総額は9万円くらい。想定より安く済みました。

13:00(台湾時間)、全日空NH1082便は予定通り出発。

成田空港到着

17:10(日本時間)、成田空港に定刻通り到着。

手荷物を全て受け取り出口へ。

税関では「この箱には何が入ってますか?こちらの袋は?そのバッグは?」と質問攻めでした。ホームセンター荷箱とバイク用防水バッグを航空機で運ぶ怪しい乗客に見られたらしく、開封してヘルメットや工具が入っていることを正直に申告しました。

到着ターミナルでUSAパーキングの送迎バスに乗り込み、四輪車引渡しエリアで他のお客さん全員が降り、私だけ別の場所にある二輪車駐輪エリアに送っていただきます。
運転手さんもバイク乗りだそうでバイク話をしながら真っ暗な駐車場内を移動し、自分のバイクに8日ぶりの対面です。 

台湾で借りたスクーターよりも自分のバイクのほうが荷物が固定しにくく、30分かけてようやく安心確実な荷積みを終わらせました。

帰国早々成田から自宅までバイク移動です。
ここで事故を起こしては笑い話にもならないのでより安全運転で。

20:30過ぎに帰宅。
エンジンを切るとスズムシの鳴き声が聞こえてくる。日本はすっかり秋です。

ツーリング動画

[8/8] 台湾ツーリング2009(8日目) 臺灣機車旅遊2009 最終回

台湾ツーリング(2009年)を終えて

現地でレンタルスクーターを借りられるか、9月の台湾で台風に直撃されないか、といろいろ不安もありましたが、幸運にも大きな支障も事故や怪我も無くほぼ予定通りに台湾ツーリングを楽しむことが出来ました。

忠烈祠や総統府の歴史的建築物の建造、鉄道の敷設、駅舎や港の整備、温泉場の開発、各地の地名の由来、その多くにかつての統治時代の日本が関わっていました。台湾が日本と関わりの深い歴史も辿ったことについてはツーリング中に初めて知ることばかりでした。

また、日本統治時代に日本語教育を受け今でも日本語を話す台湾人なんて大勢いらっしゃると勘違いしていましたが、旅の途中で実際にそんな方にお会いしたのはお一人だけで、ほとんどの台湾人は自分の時間と労力を費やして日本語を勉強している若い世代の方々ばかりでした。自分が日本人でなければこんな難解な日本語なんて絶対に勉強する気にもならなかったでしょう。
そんな台湾の方々に助けられ言葉の壁もあまり感じることなく旅を続けることが出来ました。

お恥ずかしい話、台湾の歴史や文化はほとんど何も知りませんでした。また台湾に行く機会があれば言葉も歴史も勉強してみようと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました