[bike]韓国一周ツーリング2006 – part3 釜山上陸→統営→晋州

韓国ツーリング2006
この記事(part3)の旅程
  • 10月7日
    釜山港入港(韓国上陸)

    フェリー下船→バイクで韓国上陸

  • 8:00頃
    入国手続き

    韓国入国手続き
    自分のバイクを公道走行させる手続き

  • 10:00頃
    韓国公道走行

    釜山港を出て韓国の公道デビュー

  • 釜山

    初めての右側通行
    標識を読めず道に迷う

  • 統営

    遅めの昼食

  • 晋州

    今夜の宿探し
    南江流灯祭
    名物ウナギ専門店で夕食

釜山港入港(韓国上陸)

10月7日 – 韓国ツーリング1日目

レストラン営業開始の朝6:30頃になると客室内が賑やかになり目が覚めます。
朝食前にデッキに出てみるとちょうど朝陽が昇っていました。

早めに食事を済ませて荷物をまとめてからバイクウエアに着替えます。船上で突然バイク服に着替え始めた異様な日本人を周りの乗客が変人を見る目で眺めていました。

再びデッキに出てみると陸地がみるみる近付いて釜山の街並と五六島<オリュクド>が見えました。

船内の案内カウンターの職員さんに「バイクに乗ってきましたがどうすればいいでしょう?」と確認すると「停船したらお呼びします」というお答え。

8:00、予定時刻通りに釜山港国際フェリーターミナルに接岸。
自宅を出発してから3日を経てようやく韓国ツーリング最初の目的地に着きました。

釜山港到着→入国手続き

バイクと荷物の検査

到着から約10分後、先ほどの職員さんに声をかけられ車両甲板へ向かいバイクに乗ってフェリーから下船します。自分のバイクが初めて海外の地を踏む…なんて感慨にふける間もなく真っ先に一時輸出入車両検査場に向かいます。ここでバイクの入国手続きを受けます。

検査場は停泊中のはまゆうのすぐ前にあり、ここで待機している間に上陸して初の記念撮影。

5分くらい待っていると釜山税関職員さんが現れて荷物検査が始まりました。この検査がかなり厳しく、荷箱やバッグを全て開封することはもちろんバイクのシートも外すよう指示されるし、チェーンルブのスプレー缶もその場で噴射して中身をチェックされました。

検査場に荷物が散乱。
日本でキレイにパッキングした努力はここで全て無駄になり、職員さんに急かされつつ時間をかけて再収納しました。

旅客(自分)の入国手続き

バイクと荷物の入国検査が終わると、バイクは置いたままパスポートや書類を持って移動を促されます。はまゆうの横を職員さん2人に誘導され歩いてターミナル内に向かいます。

ここで旅客(自分)の入国審査が行われてました。入国ゲートまで連れられパスポートと書類を提示して入国審査を終えたら再び検査場へ戻ります。

自分のバイクを韓国の公道で走らせるための手続き

検査場の横にある小さなオフィスに案内され、指示されるがままにあれこれと書類を提出しました。
一時輸入に係る申告(日本から持ち込んだバイクを韓国の公道で走らせるための手続き)が行われます。パスポート・免許証・登録証書等々がくまなくチェックされ何やらハングル語で書類が作成されます。

強制保険加入保証団体手続きもここで行われました。

強制保険は対人無制限・対物100000USDの条件で75350KRW(約9400JPY)を支払いました。
保証団体手続きは本来輸出入にかかる関税を無税にするため手続きで、これが事実上の韓国内での通行許可を得る手段となります。排気量別に料金が設定されていて1000ccのFUTURAは160000KRW(約20000JPY)でした。75350KRW+160000KRW=235350KRW(約29400JPY)をここで現金支払いすることになります。

まだ日本円しか持っていないのでターミナル出口の釜山銀行出張所(両替所)に誘導され日本円を韓国ウォンに両替しました。ここでは今後の旅費に使う分も含めて20万円を両替して韓国ウォンの分厚い札束を受け取りました。

また検査場オフィスに戻り支払いを済ませると強制保険証書領収書が発行されます。
現代海上火災が発行した証書には契約担当者の名前と電話番号が書いてあり、事故や故障のときはその番号に電話して必要であればレッカー車も手配してくれると説明を受けました。

最後に大きめの黄色いステッカーが発行されました。
これは通行許可証で、後日知り合った韓国人に翻訳してもらったところ『通行許可・国籍・期間・登録番号・釜山』らしきことが記載されていることを知りました。

バイク走行時に外側から見える場所に設置する義務があるとのことで、とりあえずタンクバッグに差し込んでおきます。日本のナンバープレートは交換不要で何の手続きも無く韓国の公道を[大宮]ナンバーのまま走れます。

以上の下船からの各種手続きは別記事で詳細にまとめましたので以下の記事をご覧ください↓

手続き完了→ターミナル出発

これで全ての入国手続きが終わって時刻は9:30頃。忘れ物チェックしてヘルメットを被りエンジン始動して、検査場の鉄格子が開けられて韓国の公道デビューです。

入国ターミナル前で記念撮影。
ハングル語・英語・中国語の3ヶ国語で『入国』が表記されています。

釜山港ターミナルの駐車場を出ると右側通行の道路とハングル語の道路標識が待っていました。期待>不安が一気に期待<不安に傾いたまま釜山市内を走り始めました。

釜山の公道へ(韓国一周ツーリング開始)

公道に出る前にターミナル駐車場にバイクを停め、日本の韓国書籍専門店で買っておいた中国語/英語版の韓国広域道路地図をタンクバッグに入れ、自作の『右側通行/KEEP RIGHT』ステッカーをよく見える場所に挟みます。

 ターミナル前の信号が青になり慎重に右側通行の道路を走り始めます。ツーリング初日は「ムリせず右側通行に慣れる」「夜になるまで走らない」を念頭に置いて安全運転。

標識が読めず道に迷いつつ釜山脱出

釜山市街の道路標識。
車線ごとの行き先が明記されていますがハングル語では全く判りません。

何度も迷子になりつつ、釜山港・釜山駅・九徳総合運動場の周辺を何度も巡っていることだけは気付き始めます。この時代(2006年)にはスマホ地図も存在せず、自分の手元には全国広域地図1冊とガイドブックの略地図しかありません。

本日の予定ルートは『釜山を出る→統営<トンヨン>で名物のカキを食う→海金剛→晋州<チンジュ>泊』で、流れの速い地方国道ばかりを走ることを考えたらこれでもかなり余裕のあるプランのはずでした…が、釜山から出られなくなりこの予定がいきなり崩れました。

路肩にバイクを停めて歩いて幹線道路の標識を見て回ります。といっても数字と矢印しか判別出来ません。


 統営<トンヨン>へ行く途中に通過する馬山<マサン>を示す国道2号の標識を見つけようやく郊外へ。釜山から出られたのは12:00頃、実に2時間も迷子になっていました。

休憩所<휴게소>で休憩

国道も郊外を進むと片道3車線以上・信号は1km以上の間隔、脇道からの車の出入りも少なめです。(日本と比べると)速い交通の流れであるものの、直線が多く先が見通しやすいので危険はさほど感じませんでした。

途中の三叉路手前での渋滞時に撮影。
周囲の景色や標識を見る余裕も出てきました。

ひたすら国道を直進している頃13:00を過ぎおなかも空いてきました。

途中のドライブインぽい場所で停車。
韓国は国道沿いにこのような休憩所<휴게소/ヒュゲソ>と呼ばれる施設が至る所あり、ほぼ100%ガソリンスタンド・トイレ・食堂を併設しています。

外から丸見えのトイレを使い、売店でスポーツドリンクらしきものを買って水分補給しました。

統営到着

ゆっくり休むことなく出発して馬山を通過して統営<トンヨン>に入ります。

統営<トンヨン>は朝鮮半島南部の港町で、その一帯が閑麗<ハルリョ>海上国立公園内にあり小さな島が点在する港町です。

小さいながらも露店や食堂が並び、賑やかで風情のある港町の情景が広がっています。

統営で昼食

統営は牡蠣の名産地ということで美味い生牡蠣で腹いっぱいになりましょうか…とガイドブックにも載っている牡蠣専門店へ向かいますが探しても見つかりませんでした。人通りも少なくて場所を聞けずじまいでした。

そのまま通りかかった統営市街にあるLOTTE Martへ入店しました。

ここのスタッフさんに道を聞いてもハングル語・英語共に会話が通じないまま時間は15:00を過ぎていました。
かなり腹が減っていたのでそのままLOTTE Mart2階の食堂へ向かいました。

 ショーケースの中のメニューを指差し「イゴジュセヨ」(コレください)と旅行者定番のハングル会話で伝えると「オーチョンウォン」(5000ウォンです)と言葉が聞き取れました。レシート手渡され一番奥の窓口に出すよう指差しで教えてもらいました。初めてのハングル語会話成立です。

今日の昼食はビビンパ(5000ウォン)。すごく美味い。

ルート変更して国道を走る

遅めの昼食を終えこれからのルートを再検討します。
今から海金剛を見に行くとなると海沿いの一般道を往復100kmくらい走り更に遠くの晋州に向かうことになります。まだ韓国の公道走行に適応しきっていない自分のことを考えると残念ながら海金剛行きはあきらめることにしました。

統営から晋州<チンジュ>へ向かうには国道33号をひたすら西へ進み途中で国道3号に合流するだけで道に迷うことはないでしょう。ゆっくりする暇も無くLOTTE Martを出発しました。

移動中の国道で撮影。

日本の高速道路並の快適道路でストレートが異様に長く交通の流れ(といっても流れが形成されるほどの交通量が無い)も100km/hくらいで日本の高速道路とほぼ変わりません。実は韓国ではバイクでは高速道路の利用不可ですがそれでも全く困らないくらいでした。

道路沿いにカメラらしきアイコンとPolice Enforcementが描かれた標識が所々にあり、その先には本当に速度取締カメラが設置されています。

制限速度を守らない四輪車がほとんどで150km/h近いスピードで走っている暴走車もいましたが、この標識が見えてくるとみんな揃って制限速度の80km/hまで速度を落としていました。この標識は韓国全土の至る所に設置されていて感動しました。日本の道路にも是非導入して欲しい。

晋州到着

ハングル語の他に英語で地名が併記される道路標識が所々に見かけるようになります。
Jinju Stn(晋州駅)の表記を見つけて現在地と目的地の場所がはっきり判り安心します。

既に晋州市内にいることが判り、道路標識と地図を頼りにして市内中心部を流れる南江<ナムガン>にかかる晋州橋<チンジュギョ>を渡ります。何か大規模なイベントが開かれているらしく大渋滞を経てバスターミナル横の安宿街に辿り着きました。

今夜の宿探し

利用者で賑わうバスターミナルとその横の安宿街=モーテルの密集エリア。
日本のラブホテル街そのまんまの街並でも一応健全?な安ホテル街で男一人でも利用可能です。

駐車場が全て空いているモーテルにバイクを停めカウンターのおばちゃんと会話。
  【の】「パン イッソヨ?」(部屋空いてる?)
 おばちゃん「イッソヨ!」(空いてるよ!)
  【の】 「イルパク オルマエヨ?」(一泊いくら?)
 おばちゃん「シーマンウォン!」(40000ウォン!)

交渉成立。
40000KRWを支払い階段横の狭いスペースにバイクを移動して駐輪します。


ケース3個とバッグを降ろして4階の部屋に運びます。おばちゃんとその息子らしき人が荷物運びを手伝ってくれました。ありがとう。

部屋は清潔で歯ブラシや垢すりタオル等のアメニティ完備。無料の飲料水(冷水/熱湯)ディスペンサーとデスクトップPCも設置されていてネットは無料で使い放題。

風呂に入り一日の疲れと汚れを落とすと時間は20:00頃。すぐに着替えて歩いて外出します。

晋州南江流灯祭を観ながらウナギ料理

人通りの多い南江沿いの道路を歩いていくと大渋滞の原因が判明しました。この日はちょうど年一回の晋州南江流灯祭が盛大に開催されていました。

晋州南江流灯祭
壬辰年(1592年)10月、晋州牧使の金時敏将軍をはじめ、3800人余りの守城軍と晋州城に侵攻した約2万人の倭軍とが行った第1次晋州城戦闘は、6日間続いた。 激しい攻防の中、晋州城の守城軍が漆黒のように暗い夜に南江に流灯を浮かべ、南江を渡ろうとする倭軍を阻止する軍事戦術として、一方では城外の家族に安否を伝える通信手段として使われた。
晋州の人々は壬辰・癸巳年の国難克服に身を捧げた殉国烈士の魂を慰めるために南江に灯籠を流し続け、この伝統が綿々と引き継がれて、大韓民国グローバル祭りである晋州南江流灯祭りとして定着した。

引用元 : 晋州南江流灯祭り 公式サイト

日本史における文禄の役(1592年)の激戦で散った英霊への鎮魂の伝統行事で、南江には煌びやかな風灯が浮かび晋州城もライトアップされています。車道はほとんど歩行者天国状態でした。

晋州の名物料理はジャンオ=ウナギで、晋州橋から博物館までの200mほどの道沿いにウナギ専門店ばかりが並んでいます。祭りのためどこも満席行列待ちで、すぐに座れる店を何とか見つけて入店しました。

ウナギ専門店のメニュー。さっぱり読めません。
店員さんに130000ウォンのメニューを指差し「コレください」と言ってしまいました。

出てきたお料理は美味しそうなウナギの蒲焼
周りに並んでるキムチやサンチュとは無料で食べ放題です。

焼肉と同じようにコチュジャン・ニンニクと一緒にサンチュに巻いて食べるのが韓国流です。

南江を眺めつつ一日を振り返る。韓国ツーリング初日でいろいろ大変だったけどとりあえず無事故で宿に入れて安堵しました。

宿への帰り道に屋台でポンデギ(カイコ蛹の煮込)が売られているのを見つけて買って帰ります。

宿でポンデギを味見しつつベッドの上で翌日の走行ルートを確認…していたらそのまま寝落ちしていました。

10月7日

走行距離
170km

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